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三の丸 高知城三の丸から排水設備の遺構が2カ所見つかったと23日、県埋蔵文化財センターが発表した。高知城では初の発見。宮城県の仙台城などで確認されているが全国的にも珍しく、同センターは「雨が多い高知で排水を良くし、石垣の強度を高める設備と考えられる」としている。

 高知城の立地する大高坂山は天正16(1588)年に長宗我部元親が入城。その後、山内一豊が慶長6(1601)年に高知城の築城を命じ、三の丸は同16(1611)年に完成したとされている。

 高知城の石垣は「野面(のづら)積み」と呼ばれる、織田信長が安土城を築いた方法でほぼ築かれている。野面積みは自然石をほとんど加工せずに積み上げる工法で、同センターによると、排水設備は一豊が同10(1605)年に亡くなった後、2代目の忠義の時代に築かれたとみられるという。

 三の丸はもともとの地山に盛り土をして、それを広げて平らにする際、側面に石垣を築いている。石垣は表面の大きな「築石」と、その内部に水はけ用などの理由で詰め込んだ「裏込め石」からできている。

 今回確認された排水設備は、三の丸南側の石垣の下部から発見。裏込め石から地山側へ約20―50センチ前後の石を、長さ約3メートルにわたって重ねて延ばしていた。盛り土の中に連なるこの“パイプ状”の石のすき間を水が流れ、排水機能を果たしていたとみられる。

 同センターの坂本信之・専門調査官は「排水設備がないと、盛り土にたまった雨水の圧力で石垣が壊れやすくなる。排水設備は、どう水を逃がして城を長持ちさせるかの工夫ではないか」と話していた。

 また、今回の発掘調査では約1200点の瓦や石うすなども出土。瓦の端に丸い化粧飾りのある「桐紋軒丸瓦」一片も発見された。

 桐紋瓦は、織田信長が自己の権力の象徴として使い、その後、豊臣秀吉が功績のあった大名らに使用を許可したとされる瓦。桐文軒丸瓦の発見は平成12年の調査で発見されて以降、2例目。

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