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これは「週間上杉隆」8/4に掲載されていた記事である。

筆者が政治取材をスタートしたのは1999年のことである。

 当時の首相は、小渕恵三氏。その後、森喜朗氏、小泉純一郎氏、安倍晋三氏、福田康夫氏と続き、現在の麻生太郎首相を含めると、6つの政権を取材したことになる。

 10年にも満たない期間に、5人の首相が登場しては、消えていった計算になる。その間、取材を通じて、いくつかの政権崩壊に直面した。

 病に斃れた小渕元首相と、任期満了で自ら辞した小泉元首相を除けば、残りの3人はいずれも追い詰められる形で政権を投げ出している。

 最近、それら3人の首相の取材を振り返る機会があり、過去の取材ノートに当たったり、改めて調べたところ、それぞれの政権末期に、いくつかの「予兆」の現れていることを発見した。大雑把にみれば「予兆」は3つ。少なくともそれらが揃った時点では、実際にどの政権も崩壊している。

 もちろんこうした「法則」が常に正しいとは限らない。また、厳密なデータでもなく、単に取材によって得た主観、それに基づく分析に過ぎない。

 だが、その一方で、政治という権力闘争の世界を取材するに当たっては、そうした「予兆」は軽視できない情報のひとつであるのもまた確かなのだ。

 麻生政権は、まもなく発足3ヵ月を迎える。メディアとの関係で言えば、本来は「ハネムーン」とも称される期間である。

 ところが、すでに麻生政権には3つの不吉な「予兆」が現れている。それらは【内閣】、【自民党総務会】、【内閣記者会】、に現れ、それぞれが政権崩壊の不気味な兆候を示している。

 今回は、麻生政権に現れた不吉な予兆について検証してみよう。
安倍政権の後半「学級崩壊」ならぬ「内閣崩壊」が話題になったことがある。

 閣議前の閣僚懇談時、内閣総理大臣が控室に到着しても、われ関せずといった風で、安倍首相に挨拶しないばかりか、目も合わせようとしない。マスコミの写真・映像撮影時にも、各大臣の私語は止まず、孤独な安倍首相が静かに座っているといった「絵」が流されてしまう。また、各々の大臣会見でも、内閣の意向を無視した発言が繰り返され、「閣内不一致」のような様相を呈していた。
私語が問題なのではない。問題は、首相が自分の内閣、自ら任命した閣僚すらコントロールできなくなってしまうという「現実」、それを首相周辺に知らせ、世間に晒してしまうことなのである。

 任免権を持っている首相に対して、閣僚が敬意を払わないという事態は、周囲でそれを見ている秘書官、官僚、官邸スタッフにまで伝播する。その結果、官邸と霞が関にも弛緩した空気が流れるようになってしまったのだ。

 今回、麻生官邸では、漢字の読みという些細な出来事から同じような状況が発生するようになっている。ただ深刻なのは、麻生首相への敬意を失ってしまった3人の閣僚が、鳩山邦夫、中川昭一、与謝野馨という最側近の大臣たちだということだ。

 3人に共通しているのは、受験戦争の勝者でもある東京大学卒業という点だ。東大受験組からすれば、あの程度の漢字すら読めないというのは、敬意を失うに十分な根拠となるのである。

 結果、麻生首相へ公然と反旗を翻すような発言が閣僚たちからいきなり噴出している。

【自民党総務会】
 政権末期、あらゆる政策について、福田首相は煮え切らない態度を示していた。シビレを切らした自民党議員たちは、ついに自民党総務会というヒラバで公然と総裁への批判を開始した。いわゆる突き上げである。福田総裁が座っている面前で、党本部の会議に集まった中堅議員は次々とマイクを握り、総裁に対する「突き上げ」を行った。

 福田総裁は顔面を紅潮させながら、党の同僚たちからの面罵を黙って聞いていた。福田首相が辞任の記者会見を開いたのは、その後のことであった。

 総務会での突き上げは、民主主義においてはある意味、健全とも言えて、過去にも何度か起こっている。だが、それが総理の威厳に絡むと微妙な影響を及ぼす。

 小泉時代の5年半、総務会での突き上げは皆無だった。それは小泉純一郎という総裁への恐怖と、彼の持つ迫力がそうさせたのかもしれない。問題は、総務会でのそうした「突き上げ」は、自民党議員と職員の前で行われるということだ。総裁という党のトップに対する公然たる反論は、党内における首相の威厳を減らすことはあれど、増すことはない。
黙ってその様子をみていた議員の多くも、「なんだ、あの程度か」ということで、総裁への恐れが減少するのだ。

 まさしく、第二次補正予算案提出の「先送り」を決めた直後の総務会で、麻生総裁に対して浴びせられた、山本一太参議院議員などの「突き上げ」は、そうした傾向に拍車をかけるに十分な要素であった。

内閣記者会】
 森政権末期、マスコミは首相への批判を強めた。中には誹謗中傷に近いものもある一方で、総理大臣を茶化すといったものもあった。

〈ゾウの身体 ノミの心臓 サメの脳みそ〉

 当時、雑誌媒体などが好んで使ったのが、森首相を揶揄するこれらの言葉だ。言葉自体は他愛のないものだが、問題はこうした言葉の発生源である。

 大抵の場合、それは内閣記者会、とりわけ総理番記者から発せられるものであった。このときも同様だ。一日中、森首相へのぶら下がり取材を続ける若い総理番記者から漏れたものだった。

 政治部記者は通常、もっとも新人が首相番を務める。国のリーダーには優秀なベテラン記者が当たるという海外のルールとはまったく逆なのだが、今回はそうしたメディア論は措いておく。

 事態を深刻にするのは、本来は内閣総理大臣の威厳の前に遠慮しがちな若い記者たちが、何かの拍子にいきなり舐めきった態度に変わり、質問も俄然厳しくなり、さらに首相との関係が悪化しても構わないといった険悪な状態になることだ。

 実際、森政権の末期は、記者たちの質問は辛らつになり、そうした質問にさらに森首相が機嫌を損ね、ますます関係が悪化するという悪循環が繰り返された。

 じつはいま、「解散報道」(本コラム第47回参照)をきっかけに、麻生首相と総理番記者の関係は最悪な状況にある。

 結果、麻生首相の政策提言は報じられにくくなり、代わりに漢字の読み間違いばかりがリークされるということになってしまった。

 森、安倍、福田の3政権にこれら3つの「予兆」が現れたのは、政権発足から半年以上が経ってからだ。

 ところが、いま麻生政権はわずか2ヵ月ですべての兆候が発生している。果たして麻生政権に、こうした不吉な予兆を跳ね返す力は残っているのだろうか?





かまんかったら 押しとぉぜや
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