上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
◇ともに東京の角川美術生まれ
 今月27日に建立から喜寿を迎える桂浜の坂本龍馬像と、室戸岬に立つ盟友の中岡慎太郎像。県の依頼を受けた地元の研究家の調査で、龍馬像の鋳造工場が分かったが、中岡像も同じ鋳造所で作られており、両像は兄弟像だったことが判明。県のシンボルといえる両像の関係に、専門家らは「これまで鋳造場所があまり注目されていなかったため、思いもかけない新発見」と驚いている。
 ◇判明の経過
 関係者によると、龍馬像の製造先の手かがりは台座に刻まれている鋳造者「角川健治」の名だけで、どこで作られたかは不明。一方、中岡像は「中岡慎太郎全集」(宮地佐一郎編)に、「1935(昭和10)年3月、本山白雲氏銅像を角川鋳造工場より発送」という記録が残っていた。
 昨年10月、高知市公営事業事務所長で坂本龍馬研究家の吉松靖峯さん(58)が県の依頼を受け、龍馬像の鋳造所の調査を開始。吉松さんは、龍馬像建立の提案者である元早大生、入交好保さんの手記から「銅像の製作状況を聞きに行くため東京の田端に向かった」との記述を発見。鋳造者である「角川健治」と「田端」をヒントに東京都北区上中里の角川美術鋳造所を突き止めた。
 ◇鋳造所
 角川美術鋳造所は現在、健治さん(62年に76歳で死亡)の長男の作太郎さん(88)らが経営。当時の名前は角川鋳金工場だった。吉松さんは昨年12月、作太郎さんと面談。龍馬像の図面は空襲で焼失していたが、作太郎さんは「龍馬像は父が作製した」と証言。さらに、「中岡慎太郎全集」の記述通り、中岡慎太郎像も同鋳造所で作ったとも語った。吉松さんは「像の銘や作太郎さんの証言から、この鋳造所で龍馬像が製造されたのは間違いない」と強調する。
 ◇本山白雲
 “龍馬・中岡像の兄弟説”を補強する材料も。
両像の原型を作ったのは宿毛出身の著名な彫刻家、本山白雲(1871~1952)。作太郎さんによると、白雲の作品の多くを健治さんが手掛けている。「彫刻家と鋳造者の結びつきは強く、信頼関係が築かれると、彫刻家が鋳造者を替えるケースは少ない」と中岡慎太郎館(室戸市)の豊田満広学芸員は指摘。その点からも中岡像を作製した健治さんが、以前に龍馬像を作った可能性は極めて高い。
  ×  ×  ×
 県立美術館の梶光伸学芸員は「これまでうちの美術館でも鋳造所の調査をしてきたが、場所までは特定できなかった。しかも、中岡像も同じ鋳造所で作られたと聞き、驚いている。今回の発見は両像の詳しい製作状況を知る上で大変貴重」と評価している。【米山淳】
………………………………………………………………………………………………………
 ◇坂本龍馬像
 建立は1928(昭和3)年。大きさは銅像5.3メートル、台座が8.18メートル、重さは約3トン。当時、早大生だった入交さんら県青年団が約2万5000円の募金を集めて製作。元陸援隊副隊長の田中光顕らも協力した。
 ◇中岡慎太郎像
 龍馬像建立から7年後の1935(昭和10)年に設置。大きさは銅像、台座ともに龍馬像と全く同じ。中岡の出身地である安芸郡の青年団が桂浜を訪れ、「中岡先生の像を」と募金活動を展開し、費用を工面した。

5月19日朝刊
(毎日新聞)
Secret

TrackBackURL
→http://ryomajaki.blog7.fc2.com/tb.php/19-a412f0da
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。