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平野貞夫の「永田町漂流記」より紹介。

「日本一新運動」の原点(57)── 菅首相退陣のため内閣不信任案の提出を!

■議会政治での「嘘」を許してはならぬ

 議会政治の本質を知る話として、1961年に英国で発覚した「プロヒューモ事件」がある。国防大臣のジョン・プロヒューモ氏が、ソ連(当時)の女性スパイと親しい関係があったことがわかり、下院議員を辞め、政界から引退した事件である。辞任と引退の理由は、ソ連のスパイとの関係ではなく、下院での答弁で女性スパイとの関係を否定し、嘘をついていた責任をとったのだ。

 議会政治はキリスト教文化で育ったもので、教会から分離したものである。人間の内心・精神を調整するのが教会で、政治・経済などを調整するのが議会である。そのため議会は社会的教会といわれている。議会が教会という精神を持つ限り、議会で行ってはならない最大の行為は「嘘をついてはならない」ことである。議会で嘘をつくことは「神に嘘をつく」ことであり、それに反すれば政治家であることを辞めなければならない。これを実証したのが「プロヒューモ事件」であった。英国には議会政治の正当性を欠くという精神が生きているのだ。

 日本のような多神教社会で、この精神を生かすことは困難である。それでも昭和50年代頃までは、明治生まれの政治家が活躍していたので「国会で嘘をつくことが重大なことだ」ぐらいは理解していた。それは日本人の倫理観である儒教の「信・義・礼・仁」、仏教の「空・無」、神道の「惟神(かんながら)の道」といった精神の影響を受けていたからだ。「名分」とか「恥」といった感性も残っていた。

 平成時代になって、政治家からこの感性がだんだんに消えていった。情報化社会となって、真実と虚実の区別がつかなくなったのだ。新聞やテレビなどメディアだけの責任にするつもりはないが、かつての「社会の木鐸」という精神がほとんどなくなったのも事実である。

 例えば、小沢元民主党代表をめぐる西松事件も検察の仕組んだ謀略であった。また、陸山会事件での水谷建設裏金問題も、5月24日(火)の弁護団側が申請した2人の証言で、小沢氏側へ渡したと証言した検察側多数の証言の欺瞞性を明確にした。

 小沢氏は、政権交代とメディア改革を政治目的としていた。それを阻止しようと、当時の自民党政権・検察そしてメディアが、小沢氏を政界から排除するために起こした「検察ファッショ」と「メディアファッショ」であった。本来なら民主党は「検察ファッショ」と闘うべきであったが、何故かそれを行わなかった。そこに民主党の限界と今日の悲劇がある。それでも国民は政権交代を選択した。その功績の第一は、小沢氏の総選挙への戦略と戦術の勝利であったことは国民が知っている。

 ところが、次に起こったことは民主党内の小沢氏排除であった。政権交代による小沢氏の本格的改革を恐れた「反小沢グループ」の策略であった。東京地検は「陸山会事件」として秘書三人を逮捕し、小沢氏の「政治と金」をメディアを使って攻め立てた。鳩山政権に変わった菅政権は、こともあろうに、指導を受けていた小沢氏を排除することで政権浮揚の旗とした。東京地検が一年数ヶ月にわたり、その総力を挙げて捜査しても起訴できなかったのに、菅政権の工作もあり検察審査会が、憲法を無視して、いとも簡単に強制起訴した。

 実質2年半にわたり、日本社会挙げて「小沢排除」を行った結果が、今日の日本の劣化を招いたと私は思っている。その原因は小沢氏の「政治と金」をめぐって、虚実の捏造すなわち、「嘘」によって展開されたのである。健全な議会民主政治の国家とはいえない。「小沢氏排除」を政権維持の基本戦略とした菅首相のやったことは、政権交代の原点を放棄した政治運営と基本政策の変更で、自民党政治より悪政である。

 国民は「騙され嘘をつかれた」のだ。菅首相のもとでは議会政治は機能していない。

■菅首相退陣のため内閣不信任案の提出を!

 東日本大震災が起こらなければ、菅首相は在日韓国人違法献金問題で、3月中には退陣に追い込まれていたはずだ。菅首相は国会答弁で「外国籍とは知らなかった」と嘘をついた。報道によれば、東日本大震災の翌日、菅首相は「過去も、現在も会ったことはないことにして欲しい」と電話をしたとのこと。相手方は「菅はオレの国籍を知って付き合っていた」と語り、この問題は再び火を噴こう。このことだけでも当然に、退陣の理由になる問題だ。

 それにしても、東日本大震災直後からの菅首相の対応はすべて失敗である。特に福島第一原発の人災については、初動から「嘘とペテン」のオンパレードだ。「原発は安全だ」「炉心に障害はない」「放射能は心配ない」・・・、全部意図的に国民、国会、国際社会を騙していたわけである。その結果が八十日過ぎても収拾の見通しをつけることができず、被災を拡大させている。情報の隠蔽と工作は「嘘」を前提としている。

 当初、きわめて深刻な原発の常態をわかったうえで、レベル4としたこと。言い逃れが出来なくなってレベル7に変更したやり方などは、「嘘」を通りこして犯罪的なことだ。こんな政権で、千年に一度の大災害の復興ができるはずはない。世の中を真っ当に見る人間ならわかるはずだが、政治家の中には「急流を渡る途中に馬を乗り換えることはできない」といって、菅首相の延命を支持する輩がいる。朝日新聞の論説も同じだが、どうしてこうも政権に弱いのか。馬は乗り換えることができても、国民は国を乗り換えることはできないのだ。

 ようやく谷垣自民党総裁は、菅直人内閣総理大臣不信任決議案を提出することを決めた。問題は民主党衆議院議員が何人賛成するかだ。本来なら、現在の混迷の責任は菅首相を選んだ民主党にあるのだ。東日本大震災を保身延命に利用する菅首相を放置することは、国家国民と国際社会に許されることではない。

 このことがわかっていても、内閣不信任案が成立すれば、菅首相が解散を断行するというブラフにおののく衆議院議員がいると聞く。1日でも長く国会議員をやりたいようだ。こんな人間は国民のためにならず、次の総選挙での落選を私が保証する。

 岩手・宮城・福島の被災3県の7~9ぐらいの小選挙区では、物理的に選挙を行うことが不可能と思われる。仮に内閣法制局や官邸の弁護士政治家たちの三百代言に乗って、菅首相が狂気の解散を断行したとき、どんな問題が起こるか考えてみよう。

 わが国の憲法は、基本原理を「国民主権―参政権―選挙権と被選挙権」とし、かつ「代表制民主主義」である。仮に6月中に解散となれば被災3県で、推定2百万人台の有権者の選挙権と被選挙権が行使できない。議員数で比例票を考えると、約15名ぐらいの国民の代表が選ばれることができなくなる。一定の地域から国民の代表者が総選挙に参加できないことがわかっていて、意図的に解散することは、衆議院の構成に正当性を与えない。各党の所属議員数も正当に構成されない。従って首班指名で選ばれる首相なども正当性がない。

 そもそも内閣の解散権とは、行政権のひとつであり、参政権とか代表制民主主義の下位にあるものだ。立法・行政・司法の三権の発生は国権の最高機関である国会を構成する国民を代表する選挙された議員によって正当化されるのが、憲法の仕組みである。まして総選挙の主要なテーマは、東日本大震災の復旧と復興である。被災地から国民の代表を選ぶことができない状況での総選挙は、憲法以前の問題といえる。

 あらゆる面からいっても、被災地での選挙の実施ができない状況の解散は憲法違反である。もし断行すれば、憲法体制を崩壊させるものである。当然、国民の多数から「解散無効の憲法訴訟」が起ころう。司法がこれを慣例と稱し、「統治行為論」でもって、司法権に馴染まないと逃げるとすれば、司法権の崩壊だけでなく、国家の崩壊となろう。

 憲法81条に「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」との規定がある。

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岸博幸のクリエイティブ国富論「結局は震災前のエネルギー戦略から脱却できない東電救済スキームと浜岡原発停止のまやかし」を紹介します。

方向性は正しいが、プロセスが杜撰な浜岡原発停止の影響

 浜岡原発の停止という方向性自体は正しいと評価することができます。それでも、菅政権の決定は今後に禍根を残すものと言わざるを得ません。それは、決定のプロセスがあまりに杜撰だからです。

 まず、浜岡原発を停止させた場合、それが中部電力管内はもとより日本全国の電力需給にどのような影響を及ぼすのか、そしてそれが産業や経済にどのような影響を及ぼすのかを事務的にしっかりと詰めた形跡はありません。

 しかし、例えば中部電力は東京電力に100万キロワット弱の電力融通をしていること、中部電力管内は日本の製造業の中核で供給電力の半分が産業用途であることなどを考えると、浜岡原発の停止の影響は当然大きいのであり、それをしっかりと詰めることなく決定するというのは、論外です。

 更に問題なのは、浜岡原発の停止要請を菅総理が行なったというのは、官邸が原子力安全・保安院の判断は信用できないと公に認めたに等しいということです。

 福島第一原発の事故が起きてから、原子力安全・保安院は日本全国の原発に対して緊急安全対策を講じるよう指示を出しました。そして、菅総理が浜岡原発の停止を要請した同日に、浜岡を含むすべての原発がそれをクリアしたと発表しています。それなのに菅総理が浜岡原発の停止を要請しているのです。

 その根拠は大地震が起きる確率という確率論ですが、新潟中越地震も東日本大震災もその確率が非常に低い場所で起きました。つまり、何%なら安全とは言えないのです。となると、原発を地元に擁する自治体は当然疑心暗鬼にならざるを得ませんので、定期点検中の原発の再稼働は非常に難しくなるでしょう。その結果、電力不足がドミノ倒しのように全国に広がる可能性が非常に高くなってしまったのです。
 そうした大きな問題があるにもかかわらず、なぜ菅総理は性急に浜岡原発の運転停止を決断したのでしょうか。小沢一郎氏側が浜岡を含む原発問題で政局を仕掛けようとしていたので機先を制して発表した、という噂がありますが、そのような政局的な理由だけから日本経済に深刻な影響を与える決断をしているとしたら、それは論外です。

東電救済スキームの問題点

 一方で、東電の救済スキームがほぼ決定されました。“ほぼ”という理由は、本当は昨日の関係閣僚会合で決定されるはずが、菅総理の判断で先送りされたのですが、その内容はこれまで報道されてきたものと基本的に同じで、このコーナーで何度か指摘した問題点がそのまま残っています。

 東電に徹底的な資産売却や内部留保吐き出しを迫っておらず、減資も金融債権カットも予定されていません。かつ、原発事故の責任の一端があるはずの国は、原子力推進予算を賠償に回すとか原子力埋蔵金を吐き出すこともしていません。

 スキームの文言上は電力料金値上げに頼る姿勢は控えられていますが、実際には、東電・金融機関・政府の痛みはほとんどなく、最後は電力料金値上げを通じて国民に負担を転嫁しようとしているのです。

 加えて言えば、スキーム上は東電が賠償について無限の責任を負い、未来永劫かかってでも機構に賠償金を返済し続けるとなっていますが、それは裏を返せば、賠償のために東電をずっと存続させることを意味し、原発事故による電力供給の不安定化の原因でもある発送電一体・地域独占という電力供給体制を変える気はまったくないのです。

 ただ、このスキームについては希望を持てる点が二点あります。

 一つは、スキームを作る過程で経産省の官僚は、東電にリストラを徹底させるためにも、火力発電所の売却を迫ろうとしていたようなのです。これは、リストラの徹底という観点と電力供給体制の変革という観点から非常に正しかったのですが、残念ながらすぐに叩き潰されました。それでも、こうした正しい主張があったことは、今後への希望となり得ます。
もう一つは、このスキームを確定して機構を設立するには法律が必要であるということです。当然、法律案が提出されたら国会で議論されることになりますので、ここで自民党をはじめとする野党が正論を主張すれば、正しい内容に修正される可能性はあります。東電の政治的な影響力の凄さを考えると不安も感じますが、野党はいよいよその真価を問われるのではないでしょうか。

“value of Japan”(日本の価値)が問われている

 以上のように、今月に入ってからの菅総理の二つの決定で、短期的のみならず中長期的にも、全国的な電力不足と電力料金値上げが日本経済の成長の制約要因となる可能性が高くなってきました。企業が日本を見捨てて海外に逃避する可能性も同時に高まっています。

 加えて言えば、こうした間違った政策決定が、世界における“value of Japan”(日本の価値)にも大きく影響することに留意すべきではないでしょうか。

 東日本大震災まで、世界が認める日本の価値の一つは、経済力であり安心・安全・高品質でした。政権の大震災や原発事故への対応の混迷で、それでなくとも最近は海外での報道は批判的なものの方が多くなっていますが、理念なき浜岡原発の停止(菅総理の会見では再生可能エネルギーを強調するが、政府の実際の行動は震災前と同じ原子力の推進)や、市場のルールを無視し、かつ電力供給の独占体制を維持しようという東電救済スキームは、いずれもエネルギーの世界で(フクシマに蓋をして)“震災前”を再現しようとしているに他なりません。

 それは、世界に対して、これだけの大震災と原発事故を経ても日本は自己変革できないというメッセージを発していると同じです。震災から2ヶ月を経て、既に日本を見る世界の眼は厳しくなっていることも意識すべきではないでしょうか。

 そう考えると、こういう支離滅裂な亡国の選択をする菅政権は早く倒れるべきではないでしょうか。被災者への思いやりはいつまでも忘れてはいけませんが、そればかりに終始せず、国民が怒るべき時が来たのではないでしょうか。

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