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 東日本大震災で設置された政府の15会議体のうち10の会議が、議事録を作成していないというずさんな実態が分かった。10の会議のうち、原子力災害対策本部は首相を本部長に全閣僚が出席し、昨年末まで23回の会合を開催され、事故の拡大防止策や避難範囲の設定などの重要事項を検討し、決定してきたが議事録は一切作成されていなかった。
 議事録がないことは、昨年5月に問題化し、当時の枝野官房長官は、危機対応に追われたためなどと説明し、改善を約束した。だが、その後も放置されていた。 
 政府は当初から福島第一原発事故の放射能被害について、「直ちに健康に害はない」と、言い続け、また、第1原子炉~第3原子炉内で起きていた燃料棒の「メルトダウン」情報も隠し続けていた。また、内閣参与の1人であった松本健一麗澤大学経済学部教授が福島第1原発周辺20キロメートル範囲内では、20年は住めないという発言を菅直人前首相は、封じ込めるため、辞任に追い込み、裏情報を隠蔽したとも言われている。当初「レベル5」といって国民に安心させ、1カ月後には「レベル7」と最高級に引き上げた。
 3.11以来、怒鳴りまくり泣きわめいていた菅前首相の人相は異様であった。その人相はいまだに元の人相に戻っていない。菅前首相は「何か重大な情報」を隠していると疑われても無理はない。
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「小沢問題」を通じて私に見えてきたものとは、いま日本に「新しいファシズム」が展開し始めたということである。「ファシズム」の教科書的定義は、「資本主義が危機的状況となると、権力が暴力装置を活用して機械性民主主義による政治の機能を失わせ、独裁的政治を展開する」ということだ。
「暴力装置を使った政治など、日本では行われていない」という異論が出てこよう。しかし、よく考えてほしい。情報社会での暴力装置は、必ずしも物理的な暴力装置だけではない。社会心理的な暴力装置というものもある。21世紀ではファシズムの定義も再考が必要である。繰り返しになるが、「小沢問題」での大手マスコミの報道は、検察の根拠なきリークだけでなく、捏造された「事実」が次から次へと報道され、その異常さは「社会心理的な暴力」といえるものだった。小沢がインターネットのメディアと、記者クラブに属していないジャーナリストたち、たとえば上杉隆氏が代表を務める自由報道協会を通じてしか発信しないものもむべなるかな、である。
 2009年3月の西松事件は、麻生太郎自民党政権の関与なしには考えられない。大久保秘書逮捕の2日前の3月1日に、私は当時の森英介法務大臣から小沢排除を予言するかのような暴言を直接に浴びせかけられていた。麻生首相は、何としても民主党への政権交代を阻止したかったのであろう。大久保秘書逮捕だけでは効果がなく、次に仕掛けたのが「優勢不正事件」で石井一民主党副代表問題であった。その結果が、村木厚子厚労省元局長の冤罪事件である。
 国民が民主党に政権を交代させるという歴史的決断をしてから、何が起こったのか。検察と大手マスコミは、国民の選択を無視するわけにはいかず、せめて小沢一郎に民主党政権の中でイニシアティブをとらせないようにしたのである。民主党内にも、それに同調し「小沢排除」に躍起になっている輩もいた。鳩山由紀夫首相が間に立って迷いに迷う。その結果、「政策の協議決定に関わらない幹事長」という、歴史的失笑に値する役に小沢は就くことになる。
 その直後、特別国会のあり方について小沢から相談があったので、「マニフェストの基本に重要な党役員は閣内で職責を果たすとある。政策の協議決定に参加しない与党幹事長では、議院内閣制は運営できない」と答え、民主党政権は長く続かないと指摘しておいた。案の定、鳩山政権は1年ももたなかった。ところが、小沢が渾身の思いで誕生させた菅直人首相は、先述の通り、事もあろうに最大の恩人である小沢の「政治と金」を意図的に、虚言を持って国民に訴えて、「小沢排除」を断行した。
 そして、内閣や党の要職に、とかくの話題を持つ弁護士政治家を起用した。東京地検特捜部が、二度にわたって不起訴と決めた小沢に対し、検察審査会は、法令どころか憲法に反する結論を下し、小沢を強制起訴へと追い込んだのである。真実を見分けようとする有識者のなかには、この動きに政治権力の影響があったとする見方が多い。
 驚くべきことはそれだけではない。民主党執行部が、強制起訴される小沢に、政治倫理審査会に出頭するよう強要したのだ。
 弁護団の意見もあり、裁判過程に入ってからの出頭に時期的注文をつけた小沢を、事もあろうに「党員資格停止」とし、その期間を党規約に違反して「裁判終了まで」と強行決定した。党として事実関係を調査したうえならともかく、大手マスメディアの捏造報道だけを根拠にである。その狙いは菅首相が退陣した場合、党代表選挙に出馬できないようにするためであった。野党の多くは不見識にも国会での証人喚問を要求した。
 このわが国の議会制民主主義の実態を、何と考えるべきであろうか。これを私は「新しいファシズム」と定義づけたい。「小沢問題」は、社会心理的な暴力装置となった大手マスメディアを、当初は検察が、次に菅政権が、そして与党民主党、さらに国会全体が利用して、議会制民主主義の基本である国民の代表である国会議員の基本権を奪い取ったのだ。
「新しいファシズム」は、本来、独裁的権力抵抗すべき政党や議会が、率先して議会制民主主義の基本原理を侵していることを特徴としているのだ。それにほとんどの国会議員や有識者が気づいていない。東北地方を襲った巨大地震と同じような恐ろしいことが、日本の社会で起こっている━━。


平野貞夫著「小沢一郎 完全無罪 『特高検察』が犯した7つの大罪」の文庫版まえがきより抜粋

小沢一郎はかねてから、政権交代と電波オークションや記者クラブ廃止を含むメディア改革を政治目的としていた。それを阻止するため、当時の自民党政権、検察、そしてメディアは、小沢に政治権力を持たせないことを至上目的とした。そのための「検察ファッショ」であり、「メディアファッショ」であった。本来なら民主党はこれらと闘うべきであった。が、なぜかそれを行わなかった。そこに民主党の限界と悲劇がある。
 それでも国民は政権交代を選択した。その功績は小沢の政治戦略と戦術の勝利であったことを国民は知っていた。
 ところが次に起こったことは民主党内の小沢排除であった。政権交代による小沢の本格改革を恐れた「反小沢グループ」、それは日本中に生息する「既得権吸血人間」たちのことであった。西松事件の公判で失敗したその日、東京地検は陸山会事件をでっち上げるため石川議員と大久保・池田秘書の3人を逮捕し、小沢を攻め立てた。
 鳩山政権から代わった菅政権は、こともあろうに指導を受け同士であった小沢を攻撃し排除することを政権浮揚の方策とした。東京地検が一年数か月勢力を挙げて捜査しても起訴できなかった案件を、菅政権の工作もあり、検察審査会が憲法を踏みにじり意図的に強制起訴した。
 2009年3月から日本社会を挙げて「小沢排除」を行った結果が、今日の日本の劣化を招いた。その原因は、小沢の「政治と金」をめぐる虚実の捏造、すなわち「嘘」の展開にある。「小沢排除」を政権維持の基本戦略とした菅首相のやったことは、政権交代の原点を放棄した政治運営と基本政策の変更で、自民党政治より悪い政治を行った。
 すると、日本政治の悪性に警鐘を鳴らすがごとく、突然に発生したのが東日本大災害であった。「あらゆる協力をする。何でもいってくれ」と、挙国挙党体制を主張する小沢の要請を、菅首相は拒んだ。未曾有の大災害と原発事故は国難となり、それに対応できない菅政権の機能不全は第二の国難を生ぜしめた。原発事故の情報隠蔽工作は、放射性物質の大量放出と住民の被爆という悲劇を生み、福島県浪江町では「耳なしウサギ」まで生まれた。数10万人もの直接的な犠牲者が出ていたが、菅首相は保身延命のため日本列島を放射能で汚染した。彼は「政治犯罪人」である。しかしメディアはそれをいわない。
 2011年6月2日、衆議院に「菅内閣不信任決議案」が提出され、可決確実と追い込まれた菅首相が選んだのは、鳩山前首相を取り込んだ茶番とペテンの「籠脱け詐欺」であった。不信任案が否決された首相が辞任に追い込まれるという世界の議会史にない珍事が起こったのだ。菅・鳩山確認書には、冒頭に「民主党を壊さない」「自民党政権に逆戻りさせない」とある。大震災で困窮する人々、放射能の恐怖で立ち往生している人々を無視して、二人ともそんなに民主党が大事なのか。国民の生命を守るために必要なら、政党など壊してもいい。そんな発想のない政治家は直ちに引退すべきだ。
 一方、小沢一郎はというと、事あるごとに「お天道様は見ている」と呟いている。


平野貞夫著「小沢一郎 完全無罪 『特高検察』が犯した7つの大罪」の文庫版まえがきより抜粋
上杉隆氏のダイアモンドオンラインに掲載されている「「情報暗黒内閣」の一年間を振り返る――菅首相はせめて退き際に政治家としての良心を見せてほしい 」を以下に紹介する。


首相は出処進退に触れた途端
引き摺り下ろされるもの


 菅直人首相の退陣が濃厚になってきた。当初は内閣不信任案を回避し、そのまま逃げ切れるとみられていたが、実際は、あっという間に外堀を埋められ、早期の退陣を余儀なくされている。

 第二次補正予算、復興支援基本法、さらに特例公債法案の成立、もしくは目処のついた段階での辞任を示唆しているものの、それさえも困難な情勢になっている。

 就任からちょうど一年、またしても日本は新しい首相を選ばなくてはならないようだ。これによって小泉政権以降、安倍、福田、麻生、鳩山、菅と五代続けての短命内閣となることが確定した。

 冷酷な永田町ではすでに「ポスト菅」の後継者選びが始まっている。

〈菅首相の辞任表明を受けて岡田、仙谷、枝野各氏や安住淳国会対策委員長らは8日までに「ポスト菅」について会談を重ねた。岡田、仙谷、枝野各氏は代表選に立候補しないことを確認したうえ、野田氏が新代表に最適任との認識で一致した。

 仙谷氏らはこれを踏まえて自民、公明両党などに対し、菅首相辞任後の協力要請を始めた。首相が月内に退陣表明することを念頭に7月上旬にも代表選を行う日程も大筋合意した〉(朝日新聞/6月9日)

 権力闘争における「レームダック」の意味を改めてかみ締める。首相は出処進退に触れた途端、引き摺り下ろされるのだ。

残念ながら予想的中
「情報暗黒内閣」は何をしてきたか


 この一年間、菅政権は何をしてきたのか。手前味噌だが、発足当初、菅政権は稀にみる「情報暗黒内閣」になり、国民を裏切り続けることになるだろうという筆者の予測はもっとも残念な形で的中した。

 福島第一原発事故におけるうんざりするような情報隠しは、日本政府に対する国民の信頼を失墜させるに十分だった。そればかりではない。4月に行なった放射能汚染水の海洋放出と、それに絡む情報隠蔽は、世界中からの非難の的になっている。にもかかわらず、菅首相は日本が「海洋犯罪国家」になる道を選択したのだ。

 海洋汚染の深刻さは、直ちに人体に影響を与えるものではないが、半永久的に人間を蝕む放射性物質として汚し続けることにある。とくに本コラムでも触れたストロンチウムによる海洋汚染は厳しい。海産物へのダメージは決定的になる。

〈文部科学省は8日、放射性ストロンチウムが東京電力福島第一原子力発電所から62キロ離れた福島市など、福島県内11カ所の土壌で新たに検出されたことを 明らかにした。放射性セシウムが検出されたところでは、微量に見つかるとされており、それが証明された形だ。放射性ストロンチウムには半減期が長いものがあって、体に入ると長期間影響を及ぼす可能性があり、監視が必要だ〉(朝日新聞/6月9日)

 驚くのは、日本政府が3ヵ月経って初めて検査を行なったことだ。それまでは調査どころか、国際環境NGOのグリーンピースなどの外部調査すら拒否してきたのだ。

 菅首相の「有言不実行」ぶりはこの一例をみても明らかだ。就任当初、自ら「有言実行内閣」を宣言して、胸を張っていた頃が懐かしい。結局、この一年間、言い訳のオンパレードで実行した政治の足跡を思い出すことは難しい。それは側近中の側近である枝野官房長官ですら、記者会見でこう認めざるを得ないほどだ。

「この1年で飛躍的に大きな成果を上げたかといわれれば、確かにそうなっていない部分が多いのは間違いありません」

薬害エイズ訴訟も“錆びた勲章”
汗はかかず、手柄は自分のものに


 約15年前、厚生大臣として取り組んだ薬害エイズ訴訟の「勲章」だけを掲げて、首相の座についた菅首相だが、実はそれさえも他人の手柄を奪ったものだった。

 当時、原告団との交渉や血液製剤に関する調査の先頭に立っていたのは、枝野氏ら若手議員だった。大臣の地位にあった菅氏は、枝野氏らの強い要望にしぶしぶ応じる形で省内への調査指示を出している。そして、その行動に対する世間の反応がいいとみると、急遽、自ら問題解決のために先頭に立っただけなのである。

 誤解なきように付け加えておこう。筆者は菅氏の決断が悪いといっているわけではない。むしろその行動自体は賞賛されてしかるべきことだ。ただ、欲をいえば、もっと正直に部下の手柄を世の中に紹介してあげてもよいのではないか、そう思うし、またそういい続けてきた。

「昔、わが党の竹下首相が、『汗は進んでかきましょう、手柄は人に譲りましょう』というのをいつも言っていた。あなたの場合はその逆だ。『手柄は自分が取りましょう、汗は他人にかかせましょう』。私はこう感じる」

 党首討論の席上、自民党の谷垣禎一総裁はこう述べた。まさしく菅首相の性格を現している一語だ。

 原発事故の対応に際し、情報隠蔽を繰り返して、日本の国際的な信用を毀損した首相はもはや不要だ。一日でも長くその座に留まることは、かえって日本の国益を損ねる。信頼回復のために一刻も早く、自ら退くべきだろう。

菅首相を支えてきた「犯罪者」たちの中から
新首相が選ばれるという喜劇

 同じことは、菅首相を支えてきた共犯者たちにも言える。しょせん政治は結果責任である。残念ながら閣内で菅首相を支えてきた政治家たちはみな連帯責任が発生している。

 ところが、そうした「犯罪者」たちが集まって、同じ「犯罪者」たちの中から「ポスト菅」を選ぼうとしているという。なんという筋の悪い「喜劇」だろう。それは国家への反逆でもあるし、国民への最大の裏切りともなるだろう。

 海洋汚染だけでも、今後、日本は莫大な国際賠償を背負わなくてはならない。その額は数十兆から、場合によっては数百兆単位になる、といくつかの国際機関からの指摘がなされている。

 さらに、その上で国内の復興支援や原発事故住民への国家賠償も必要となる。

 一方で、そうした予算を捻出する国力は確実に低下していくのだ。農林水産のみならず、工業製品を含め、日本の産業は放射能汚染による衰退期に入っている。

 国をつぶした政治家たちになぜ国を任せようとするのか。情報隠蔽を繰り返し、自らの保身のために、国家の信頼のみならず、国民の健康まで害した菅首相。

 彼と彼を支えた者たちは、将来、必ず断罪されることだろう。それは一年前、政権が発足した際に「週刊文春」誌上で指摘した「情報暗黒内閣」の言葉通りである。

 菅首相は、15年前に自ら約束した、徹底した情報公開とオープンな政治の精神を思い出してほしい。そして、官房機密費を含む、すべての情報を約束どおりオープンにし、陣を退いてほしい。

 それが、菅首相にできる、せめてもの政治家としての良心ではないか。

岸博幸のクリエイティブ国富論「結局は震災前のエネルギー戦略から脱却できない東電救済スキームと浜岡原発停止のまやかし」を紹介します。

方向性は正しいが、プロセスが杜撰な浜岡原発停止の影響

 浜岡原発の停止という方向性自体は正しいと評価することができます。それでも、菅政権の決定は今後に禍根を残すものと言わざるを得ません。それは、決定のプロセスがあまりに杜撰だからです。

 まず、浜岡原発を停止させた場合、それが中部電力管内はもとより日本全国の電力需給にどのような影響を及ぼすのか、そしてそれが産業や経済にどのような影響を及ぼすのかを事務的にしっかりと詰めた形跡はありません。

 しかし、例えば中部電力は東京電力に100万キロワット弱の電力融通をしていること、中部電力管内は日本の製造業の中核で供給電力の半分が産業用途であることなどを考えると、浜岡原発の停止の影響は当然大きいのであり、それをしっかりと詰めることなく決定するというのは、論外です。

 更に問題なのは、浜岡原発の停止要請を菅総理が行なったというのは、官邸が原子力安全・保安院の判断は信用できないと公に認めたに等しいということです。

 福島第一原発の事故が起きてから、原子力安全・保安院は日本全国の原発に対して緊急安全対策を講じるよう指示を出しました。そして、菅総理が浜岡原発の停止を要請した同日に、浜岡を含むすべての原発がそれをクリアしたと発表しています。それなのに菅総理が浜岡原発の停止を要請しているのです。

 その根拠は大地震が起きる確率という確率論ですが、新潟中越地震も東日本大震災もその確率が非常に低い場所で起きました。つまり、何%なら安全とは言えないのです。となると、原発を地元に擁する自治体は当然疑心暗鬼にならざるを得ませんので、定期点検中の原発の再稼働は非常に難しくなるでしょう。その結果、電力不足がドミノ倒しのように全国に広がる可能性が非常に高くなってしまったのです。
 そうした大きな問題があるにもかかわらず、なぜ菅総理は性急に浜岡原発の運転停止を決断したのでしょうか。小沢一郎氏側が浜岡を含む原発問題で政局を仕掛けようとしていたので機先を制して発表した、という噂がありますが、そのような政局的な理由だけから日本経済に深刻な影響を与える決断をしているとしたら、それは論外です。

東電救済スキームの問題点

 一方で、東電の救済スキームがほぼ決定されました。“ほぼ”という理由は、本当は昨日の関係閣僚会合で決定されるはずが、菅総理の判断で先送りされたのですが、その内容はこれまで報道されてきたものと基本的に同じで、このコーナーで何度か指摘した問題点がそのまま残っています。

 東電に徹底的な資産売却や内部留保吐き出しを迫っておらず、減資も金融債権カットも予定されていません。かつ、原発事故の責任の一端があるはずの国は、原子力推進予算を賠償に回すとか原子力埋蔵金を吐き出すこともしていません。

 スキームの文言上は電力料金値上げに頼る姿勢は控えられていますが、実際には、東電・金融機関・政府の痛みはほとんどなく、最後は電力料金値上げを通じて国民に負担を転嫁しようとしているのです。

 加えて言えば、スキーム上は東電が賠償について無限の責任を負い、未来永劫かかってでも機構に賠償金を返済し続けるとなっていますが、それは裏を返せば、賠償のために東電をずっと存続させることを意味し、原発事故による電力供給の不安定化の原因でもある発送電一体・地域独占という電力供給体制を変える気はまったくないのです。

 ただ、このスキームについては希望を持てる点が二点あります。

 一つは、スキームを作る過程で経産省の官僚は、東電にリストラを徹底させるためにも、火力発電所の売却を迫ろうとしていたようなのです。これは、リストラの徹底という観点と電力供給体制の変革という観点から非常に正しかったのですが、残念ながらすぐに叩き潰されました。それでも、こうした正しい主張があったことは、今後への希望となり得ます。
もう一つは、このスキームを確定して機構を設立するには法律が必要であるということです。当然、法律案が提出されたら国会で議論されることになりますので、ここで自民党をはじめとする野党が正論を主張すれば、正しい内容に修正される可能性はあります。東電の政治的な影響力の凄さを考えると不安も感じますが、野党はいよいよその真価を問われるのではないでしょうか。

“value of Japan”(日本の価値)が問われている

 以上のように、今月に入ってからの菅総理の二つの決定で、短期的のみならず中長期的にも、全国的な電力不足と電力料金値上げが日本経済の成長の制約要因となる可能性が高くなってきました。企業が日本を見捨てて海外に逃避する可能性も同時に高まっています。

 加えて言えば、こうした間違った政策決定が、世界における“value of Japan”(日本の価値)にも大きく影響することに留意すべきではないでしょうか。

 東日本大震災まで、世界が認める日本の価値の一つは、経済力であり安心・安全・高品質でした。政権の大震災や原発事故への対応の混迷で、それでなくとも最近は海外での報道は批判的なものの方が多くなっていますが、理念なき浜岡原発の停止(菅総理の会見では再生可能エネルギーを強調するが、政府の実際の行動は震災前と同じ原子力の推進)や、市場のルールを無視し、かつ電力供給の独占体制を維持しようという東電救済スキームは、いずれもエネルギーの世界で(フクシマに蓋をして)“震災前”を再現しようとしているに他なりません。

 それは、世界に対して、これだけの大震災と原発事故を経ても日本は自己変革できないというメッセージを発していると同じです。震災から2ヶ月を経て、既に日本を見る世界の眼は厳しくなっていることも意識すべきではないでしょうか。

 そう考えると、こういう支離滅裂な亡国の選択をする菅政権は早く倒れるべきではないでしょうか。被災者への思いやりはいつまでも忘れてはいけませんが、そればかりに終始せず、国民が怒るべき時が来たのではないでしょうか。

菅首相は魂を官僚に売り、国民を欺き、犠牲にし、自分の権力の維持にのみ執着している。このままじゃと日本は潰れるぜよ。
 元参議院の平野貞夫氏がメルマガで菅首相を痛烈に批判しているので以下に紹介する。

 こんな内閣総理大臣を、日本国民はいつまで存在させるのだろうか。昨年9月の民主党代表選挙では「総理をくるくる変えるのは良くない」という俗論が通用したが、ここまで来ると、もはや国家の存亡に関わる問題であり看過できない。

 驚いたのは、菅首相の年頭記者会見だ。元旦に、首相公邸で開いた新年会に顔を見せた国会議員が45名と、小沢邸の120名に比べて著しく少なかったため、用意した弁当が150個も余ったという情報が流れたことが頭にきたのか、終始、支離滅裂の会見であった。

 それを例によって、朝日新聞がその社説で『本気ならば応援しよう』と論ずるに至っては、この国は完全に昭和初期のファシズムの道に突き進みだしたといえる。悪夢の再来である。「日本一新運動」の最大の目的は、日本のファシズム化を阻止することだ。

 さて、菅首相の年頭会見は「国のあり方について三つの理念を申し上げる」という大見得から始まり、1、平成の開国元年、2、最小不幸社会、3、不条理を正す政治、というものであった。翻って、いま何としても必要なことは、政権交代した歴史的意義を確認し、公約の「国民の生活が第一」を実現するために、民主党が挙党一致で邁進することだが、その気はまったくないようだ。

 ところで、菅首相が表明した三つの理念を、坂本龍馬流の妙見法力による四観三元論で分析すると大問題がある。

 まず、1、「平成の開国元年」だが、TPP(環太平洋パートナーシップ)について、「貿易自由化の促進や、若者が参加できる農業再生をやり遂げなければならない」と、言葉では誰もが反対できないデマゴーグを行っている。この政策は、米国の経済支配の中で生きていけという仕掛けがあることを知っておかねばならない。これこそが、さまざまな角度から検討すべきことで、6月を最終的な判断などとは米国の大統領選挙に利用されるだけだ。

 次に、2、「最小不幸社会」だが、昨年6月17日の創刊号メルマガでも述べたように、最少でも「不幸」を撲滅するのが政治の目的でなければならない。一定の「不幸」の存在を容認して社会政策を構想するのは、学者の理論であっても、断じて政治の理念になり得るものではない。狙いは税制改正という名の消費税率の値上げである。「社会保障の整備」という美名をもてあそび、財政悪化の責任から逃れようとする官僚の手のひらで踊らされ、自らの権力保持の欲望を満たすために、庶民を犠牲にする菅首相の根性の汚れに問題がある。

 私の体験を言っておこう。昭和63年の消費税導入は、占領体制下で歪められた税制度を改革するという歴史的意義があった。竹下政権も政権保持のためという私欲はなかった。どうにか成功したものの、あろうことか、協力した野党要求の福祉増額予算を政治資金へ摘み食いした政治家がいた。

 当時の厚生官僚の知惠で特養施設などを食い物にして、その後二人の総理大臣が誕生することになる。そして腐敗した官僚は天下りで、国民年金を食い物にしたのが、近時の社会保障の歴史であった。菅首相がいかにキレイごとを言おうと、官僚に尻尾をつかまれた政権を信用することはできない。消費税制度の改革が必要なことは、その成立に深く関わった私は、誰よりもよく承知している。そのためには、行財政改革に対する官僚の意識改革が絶対の条件である。

 このことについて、年内には制度の立法過程を出版する予定だから、詳述は譲りたい。財政再建を、取りやすい消費税に逃げ込もうとする官僚と、それを悪用する政治家たちを追放するのが、消費税制度改革の最低の前提である。

 何よりも大切なことは、現代の人間社会がどんな問題を抱えているか、という歴史認識である。資本主義の21世紀的変質はどんなものであり、社会保障の現代的意義をどう位置づけるか、という思想なくして、消費税を中心とする税制の抜本改革を論ずる資格はない。「やゝ唐突に消費税にふれたために、十分に理解を得ることができなかった」と、菅首相は参議院選挙の時のことを反省しているが、唐突に話すような問題でないことがわからないなら政治家はやめた方がよい。

 次の、3、「不条理を正す政治」だが、小沢さんの「政治とカネ」のことらしい。菅首相の頭脳はどうなっているのか。「不条理」の意味を知らないようだ。簡単に言えば「道理に反すること。不合理なこと」をいうわけだが、それは「政治=権力」で正せることではない。敢えていえば、政治=権力そのものが不条理な存在なのだ。そう認識することによって、政治の浄化は、はじめて可能になる。

 そもそも「小沢問題――政治と金」は、小沢氏に原因があるのではない。これまでも繰り返し説明したが、西松事件は、検察が麻生政権の圧力で、これまでの政治資金規正法の解釈と運用を極端に変更して、大久保秘書を逮捕したことだ。裁判で検察側証人が証言を覆して、訴因は事実上消えてしまった。

 陸山会事件は、会計事務を担当していた当時の秘書たちの収支報告の時期が遅れた「期づれ」が起訴の対象となった。これは基本的に犯罪となる筋のものではない。それを敢えて当時の秘書であった石川衆議院議員を逮捕までした。狙いは水谷建設から裏金を受け取ったというガセネタを利用しての「小沢潰し」であった。陸山会事件の裁判が始まれば、政治的謀略事件であったことが明確になることを私は確信している。そのために菅首相は「小沢排除」をあせっているのだ。

 小沢氏本人が「期づれ」報告の共犯容疑で何度も東京地検特捜の取り調べを受け、その結果不起訴となったのである。西松事件から始まって約1年3ヶ月と、約30億円ともいわれる税金を乱費して、東京や地元事務所、そして企業を数回に渡って強制捜査の上である。それだけでなく、憲法違反といわれる検察審査会に、いかがわしい人物が市民目線という美名のもと、不起訴不当を申し立てたのである。

 麻生自民党政権は、民主党の政権交代を阻止するという「不条理」によって、小沢氏を政界から追い落とそうとした。それを菅民主党政権は継承することになるが、これこそが不条理とはいえないか。

 司法界に詳しい専門家の話によれば、暗躍したのは弁護士の仙谷官房長官で、検察審査会関係まで手を入れたとのことだ。信じられないことだが、2度目の議決が適法に行われたかどうか疑問があり、検事役の指定弁護士が起訴すれば弁護士法の懲戒問題が起きる、との見方をする専門家もいる。仙谷官房長官が法務大臣を兼務して異常な月日となる。しかも「小沢問題」にとって微妙な時期だ。裏からの何かがあったはずと想像するのは、私一人ではない。仮に裁判となれば、これらの事実が白日のもとに晒され、不条理な政治が正されることにもなろう。

 要するに、「不条理」なことをやってきたのは小沢さんではなく、自民党麻生政権と、それを継承した菅政権であることはネット社会の常識となっているが、国民の皆さんに是非とも理解して貰いたい。

 菅首相には、もう一つ「大不条理」がある。この年頭会見で、小沢一郎という政治家に議員辞職を迫ったことである。国民有権者から選ばれた国会議員に辞職を迫ることは、国民主権という憲法の基本原理に反することがわかっていない恐ろしい人間だ。国会決議ですら、憲法に違反するといわれているのにである。しかも、起訴されていない段階での言動であり、これでは内閣総理大臣としての資質どころか、普通の人間として信用できない病的な言動である。

 さらなる「巨大不条理」は、この菅首相の一連の言動を批判するメディアがいないことである。それどころか、最初に紹介したように『本気ならば応援しよう』と論じたメディアがいる。菅首相と朝日新聞は、もはや精神的危篤状態といえる。そして、この事態に何の危機感も持たない与野党の国会議員たち、わが国の議会民主政治もいよいよ危篤状態かと、国家の滅亡がそこまできた感じだ。

 ところが一点の光が差し込んできた。それは、西岡武夫参議院議長の月刊「文芸春秋」に寄せた手記である。菅首相について、「国家観、政治哲学を欠いたままでは、国を担う資格なし」と断じ、「そもそも国家に対する『哲学』すらないのではないか」と切り捨てている。

 仙谷官房長官の放言癖にも怒り、「彼の発言は国会答弁の名に値するものではない。弁護士の経験からつかんだものであろう『法廷闘争』のやり方だ」として、国会議員の資質に疑問を投げかけている。議長職のため党籍を離れているとはいえ、与党民主党の重鎮でもある西岡さんの、辛辣な意見に彼らは何と答えるだろうか。

 そういえば、菅首相を弁護する仙谷官房長官の国会答弁は、まるで総会屋や裏社会を擁護するような態度であった。本来なら、マスメディアがこういった指摘をすべきことだが、それどころか巨大メディアの増長は、権力と結びついて情報社会を支配すべく暗躍を繰り返している。



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