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植草一秀の『知られざる真実』より、以下に紹介する。

松本龍復興担当相の岩手や宮城での振る舞いが話題を呼んでいる。

 政治家の器の小ささが際立つ今日この頃だが、日本が衰退する理由を端的に表す事例に思える。
 
日本が衰退している理由が三つあると思う。
 
 第一は、日本の進路を示すべき立場にある者が、「公」ではなく「私」に基軸を置くようになったことである。
 
 明治維新が成立して、新しい時代が開かれた。しかし、維新の志士の心の基軸が「公」から「私」に転じていった。
 
 西郷南洲翁遺訓に
「命もいらず名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。この始末に困る者ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」
とある。
 
 維新が成立し、維新の志士が要職に就くようになると、志士が志士ではなくなり、私士に変節していった。
 
 司馬遼太郎は『翔ぶが如く』に次のように記述する。
 
「官というのはすなわち盗賊であるということが、この当時天下一般の士族や農民の心象に、濃淡の差こそあれ、広がりつつある印象であった。
 
 たれよりも西郷がこのことには敏感であったし、とくに、革命を幸いとして成りあがった下級士族が、官にあって、「家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾を抱へ、蓄財を謀」っているという現実に対して、「そのようでは維新の功業がとげられぬばかりか、戊辰の善戦も私利を営んだことになる」(『南洲遺訓』)と、心を暗くしているのである。」
 
 明治維新が実現したのちの「清と濁」の戦い、「公と私」の戦いが、明治六年政変であった。「清」は「濁」の前に敗れ去った。
 
 大久保は薩摩に属しながら、長州の「濁」を守る存在として行動し、「清」の巨星であった江藤新平や西郷隆盛を抹殺したのである。
 
 この明治六年政変以来、官による私利の追求が、日本の支配者の底流を流れ続けてきた。それが、、いまや日本を覆い尽くすように蔓延している。

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人類を滅亡させかねない深刻な核事故が発生したにもかかわらず、原発推進に一斉に足並みを揃える利権複合体の存在は、この国の中枢が、私利だけを追求する悪徳集団と化していることを象徴的に示している。
 
 公務員は本来、国民に対する奉仕者である。自分のためではなく、国民のために行動する存在、国民のために全力を尽くすのが、一般公務員および特別職公務員である国会議員の役割だ。
 
 ところが、多くの政治家の頭に、この発想は存在しない。司馬遼太郎が「革命を幸いとして成りあがった下級士族」と表現した存在は、松下政経塾出身の政治家のイメージに重なる。菅直人政権の執行部を見る限り、政権交代が本来目指した方向など、完全に忘れ去られたかのようである。
 
 第二は、官や政治家が、自分たちを「お上」だと勘違いしていることだ。戦後憲法においては、日本の主権者は官僚でも政治家でもない。一般国民こそ主権者なのだ。
 
 官僚も政治家も、国民のために尽くす存在、国民に対する奉仕者である。
 
 震災、原発事故で、多くの同胞が巨大な苦しみを受けている。このようなときに、政府が迅速に行動し、被災地や被災者のために全力をあげて行動することは、主権者国民の意思に基づいて決定されたことであり、その決定に基づいて、国民に対する奉仕者である官僚や政治家は、まさにこまねずみのように働かねばならぬ存在なのだ。
 
 ソファにふんぞり返って、上から、「やってやる」などと語る姿勢は、それだけで行政官失格の行動だ。

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第三の問題は、このような事態を主権者である国民が放置、あるいは容認してしまっていることだ。本来は、主権者は国民であり、官僚も政治家も、主権者国民の御用聞きに過ぎないことを、名実ともに、体現してゆかねばならない。
 
 政治家や官僚が黒塗りの公用車を使い回し、国民の税金である官房機密費を高級外食費に充当するなど、言語道断の振る舞いなのだ。彼らの公務には燃費の優れた軽自動車を使うべきだし、税金を高級飲食に充当するなど、公金横領行為である。
 
 主権者国民が、自ら「下々」に成り下がってはならない。政治家や官僚を、決して崇めたりしてはならないのだ。さすがに、本音で崇める者はいないだろうが、振る舞いにおいても、そのような筋違いの行動を取ることが政治家の勘違いを増長させる。
 
 清廉潔白で民のために尽くす、本来の政治家が存在するなら、放っておいても民の側が尊敬するようになる。
 
 私は日本に顕著な「お上意識」および「下々意識」を、「お上と民の精神構造」と表現した。同時に、この構造が定着したのが江戸時代であると考え、これを「1600年体制」と表現している。
 
 主権者である国民の側が意識を変革し、決定権を持つ。国家の主は自分たち国民であるということについて、強い自覚を持つ必要がある。
 
 だからと言って、政治家や官僚に命令口調で話をするのでは、松本龍氏と同レベルに成り下がってしまうから、相互に尊重し合う関係を構築することが大切だ。しかし、意識のなかでは、常に、大衆である国民が、すべての決定権を持つことを正しく認識していなければならない。

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宮城県の村井知事は、復興会議などで提案が示された、漁業への企業の参入などを、主権者国民に対して、上から押し付ける姿勢でこれを推進しようとしているが、主権者が地元の漁業関係者であるという基本を忘れるべきでない。
 
 知事こそ、草の根主権者の声を尊重しなければならないのに、村井知事の言動は、主権者国民の声よりも、利権を求めて中央の官僚機構が提示する火事場泥棒的施策に、あまりにも従順でありすぎるように見える。
 
 この意味では、松本復興相だけではなく、村井知事も批判にさらされる必要がある。
 
 日本の衰退は、
 
①社会のリーダーの地位を担わねばならぬ人々の大半が公を忘れ私的利益の追求だけに疾走していること、
 
②主権者国民のために奉仕しなければならない公務員が、自らを「お上」と勘違いして、国民に奉仕する姿勢を失っていること、
 
③主権者国民が社会契約によって国家の中核を担わせている人々の勘違いと怠慢を、主権者国民が放置、あるいは容認してしまっていること、
 
によってもたらされていると考える。
 
 松本龍復興相の行動は、こうした日本衰退の原因を図らずもくっきりと浮かび上がらせている。
 
 このような復興相を直ちに罷免し、国民全体の意識改革を実現しなければならない。

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岸博幸のクリエイティブ国富論「結局は震災前のエネルギー戦略から脱却できない東電救済スキームと浜岡原発停止のまやかし」を紹介します。

方向性は正しいが、プロセスが杜撰な浜岡原発停止の影響

 浜岡原発の停止という方向性自体は正しいと評価することができます。それでも、菅政権の決定は今後に禍根を残すものと言わざるを得ません。それは、決定のプロセスがあまりに杜撰だからです。

 まず、浜岡原発を停止させた場合、それが中部電力管内はもとより日本全国の電力需給にどのような影響を及ぼすのか、そしてそれが産業や経済にどのような影響を及ぼすのかを事務的にしっかりと詰めた形跡はありません。

 しかし、例えば中部電力は東京電力に100万キロワット弱の電力融通をしていること、中部電力管内は日本の製造業の中核で供給電力の半分が産業用途であることなどを考えると、浜岡原発の停止の影響は当然大きいのであり、それをしっかりと詰めることなく決定するというのは、論外です。

 更に問題なのは、浜岡原発の停止要請を菅総理が行なったというのは、官邸が原子力安全・保安院の判断は信用できないと公に認めたに等しいということです。

 福島第一原発の事故が起きてから、原子力安全・保安院は日本全国の原発に対して緊急安全対策を講じるよう指示を出しました。そして、菅総理が浜岡原発の停止を要請した同日に、浜岡を含むすべての原発がそれをクリアしたと発表しています。それなのに菅総理が浜岡原発の停止を要請しているのです。

 その根拠は大地震が起きる確率という確率論ですが、新潟中越地震も東日本大震災もその確率が非常に低い場所で起きました。つまり、何%なら安全とは言えないのです。となると、原発を地元に擁する自治体は当然疑心暗鬼にならざるを得ませんので、定期点検中の原発の再稼働は非常に難しくなるでしょう。その結果、電力不足がドミノ倒しのように全国に広がる可能性が非常に高くなってしまったのです。
 そうした大きな問題があるにもかかわらず、なぜ菅総理は性急に浜岡原発の運転停止を決断したのでしょうか。小沢一郎氏側が浜岡を含む原発問題で政局を仕掛けようとしていたので機先を制して発表した、という噂がありますが、そのような政局的な理由だけから日本経済に深刻な影響を与える決断をしているとしたら、それは論外です。

東電救済スキームの問題点

 一方で、東電の救済スキームがほぼ決定されました。“ほぼ”という理由は、本当は昨日の関係閣僚会合で決定されるはずが、菅総理の判断で先送りされたのですが、その内容はこれまで報道されてきたものと基本的に同じで、このコーナーで何度か指摘した問題点がそのまま残っています。

 東電に徹底的な資産売却や内部留保吐き出しを迫っておらず、減資も金融債権カットも予定されていません。かつ、原発事故の責任の一端があるはずの国は、原子力推進予算を賠償に回すとか原子力埋蔵金を吐き出すこともしていません。

 スキームの文言上は電力料金値上げに頼る姿勢は控えられていますが、実際には、東電・金融機関・政府の痛みはほとんどなく、最後は電力料金値上げを通じて国民に負担を転嫁しようとしているのです。

 加えて言えば、スキーム上は東電が賠償について無限の責任を負い、未来永劫かかってでも機構に賠償金を返済し続けるとなっていますが、それは裏を返せば、賠償のために東電をずっと存続させることを意味し、原発事故による電力供給の不安定化の原因でもある発送電一体・地域独占という電力供給体制を変える気はまったくないのです。

 ただ、このスキームについては希望を持てる点が二点あります。

 一つは、スキームを作る過程で経産省の官僚は、東電にリストラを徹底させるためにも、火力発電所の売却を迫ろうとしていたようなのです。これは、リストラの徹底という観点と電力供給体制の変革という観点から非常に正しかったのですが、残念ながらすぐに叩き潰されました。それでも、こうした正しい主張があったことは、今後への希望となり得ます。
もう一つは、このスキームを確定して機構を設立するには法律が必要であるということです。当然、法律案が提出されたら国会で議論されることになりますので、ここで自民党をはじめとする野党が正論を主張すれば、正しい内容に修正される可能性はあります。東電の政治的な影響力の凄さを考えると不安も感じますが、野党はいよいよその真価を問われるのではないでしょうか。

“value of Japan”(日本の価値)が問われている

 以上のように、今月に入ってからの菅総理の二つの決定で、短期的のみならず中長期的にも、全国的な電力不足と電力料金値上げが日本経済の成長の制約要因となる可能性が高くなってきました。企業が日本を見捨てて海外に逃避する可能性も同時に高まっています。

 加えて言えば、こうした間違った政策決定が、世界における“value of Japan”(日本の価値)にも大きく影響することに留意すべきではないでしょうか。

 東日本大震災まで、世界が認める日本の価値の一つは、経済力であり安心・安全・高品質でした。政権の大震災や原発事故への対応の混迷で、それでなくとも最近は海外での報道は批判的なものの方が多くなっていますが、理念なき浜岡原発の停止(菅総理の会見では再生可能エネルギーを強調するが、政府の実際の行動は震災前と同じ原子力の推進)や、市場のルールを無視し、かつ電力供給の独占体制を維持しようという東電救済スキームは、いずれもエネルギーの世界で(フクシマに蓋をして)“震災前”を再現しようとしているに他なりません。

 それは、世界に対して、これだけの大震災と原発事故を経ても日本は自己変革できないというメッセージを発していると同じです。震災から2ヶ月を経て、既に日本を見る世界の眼は厳しくなっていることも意識すべきではないでしょうか。

 そう考えると、こういう支離滅裂な亡国の選択をする菅政権は早く倒れるべきではないでしょうか。被災者への思いやりはいつまでも忘れてはいけませんが、そればかりに終始せず、国民が怒るべき時が来たのではないでしょうか。

先月、内閣官房参与に任命された、原子力の専門家で東京大学大学院教授の小佐古敏荘氏が、「政府の対策は法にのっとっておらず、場当たり的だ」として、内閣官房参与を辞任。

平成23年4月29日

内閣官房参与の辞任にあたって (辞意表明) 
                内閣官房参与小佐古敏荘



 平成23年3月16日、私、小佐古敏荘は内閣官房参与に任ぜられ、原子力災害の収束に向けての活動を当日から開始いたしました。そして災害後、一ヶ月半以上が経過し、事態収束に向けての各種対策が講じられておりますので、4月30日付けで参与としての活動も一段落させて頂きたいと考え、本日、総理へ退任の報告を行ってきたところです。
 なお、この間の内閣官房参与としての活動は、報告書「福島第一発電所事故に対する対策について」にまとめました。これらは総理他、関係の皆様方にお届け致しました。

 私の任務は「総理に情報提供や助言」を行うことでありました。政府の行っている活動と重複することを避けるため、原子力災害対策本部、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、文部科学省他の活動を逐次レビューし、それらの活動の足りざる部分、不適当と考えられる部分があれば、それに対して情報を提供し、さらに提言という形で助言を行って参りました。
 特に、原子力災害対策は「原子力プラントに係わる部分」、「環境、放射線、住民に係わる部分」に分かれますので、私、小佐古は、主として「環境、放射線、住民に係わる部分」といった『放射線防護』を中心とした部分を中心にカバーして参りました。
 ただ、プラントの状況と環境・住民への影響は相互に関連しあっておりますので、原子炉システム工学および原子力安全工学の専門家とも連携しながら活動を続けて参りました。
 さらに、全体は官邸の判断、政治家の判断とも関連するので、福山哲郎内閣官房副長官、細野豪志総理補佐官、総理から直命を受けている空本誠喜衆議院議員とも連携して参りました。

 この間、特に対応が急を要する問題が多くあり、またプラント収束および環境影響・住民広報についての必要な対策が十分には講じられていなかったことから、3月16日、原子力災害対策本部および対策統合本部の支援のための「助言チーム(座長:空本誠喜衆議院議員)」を立ち上げていただきました。まとめた「提言」は、逐次迅速に、官邸および対策本部に提出しました。それらの一部は現実の対策として実現されました。
 ただ、まだ対策が講じられていない提言もあります。とりわけ、次に述べる、「法と正義に則り行われるべきこと」、「国際常識とヒューマニズムに則りやっていただくべきこと」の点では考えていることがいくつもあります。今後、政府の対策の内のいくつかのものについては、迅速な見直しおよび正しい対策の実施がなされるよう望むところです。



1.原子力災害の対策は「法と正義」に則ってやっていただきたい

 この1ヶ月半、様々な「提言」をしてまいりましたが、その中でも、とりわけ思いますのは、「原子力災害対策も他の災害対策と同様に、原子力災害対策に関連する法律や原子力防災指針、原子力防災マニュアルにその手順、対策が定められており、それに則って進めるのが基本だ」ということです。

 しかしながら、今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は、そのことを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い、事態収束を遅らせているように見えます。
 
 とりわけ原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な指導・助言の中核をなすべき組織ですが、法に基づく手順遂行、放射線防護の基本に基づく判断に随分欠けた所があるように見受けました。例えば、住民の放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、これから被曝すると予測されるもの)は、緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)によりなされるべきものでありますが、それが法令等に定められている手順どおりに運用されていない。法令、指針等には放射能放出の線源項の決定が困難であることを前提にした定めがあるが、この手順はとられず、その計算結果は使用できる環境下にありながらきちんと活用されなかった。また、公衆の被ばくの状況もSPEEDIにより迅速に評価できるようになっているが、その結果も迅速に公表されていない。

 初期のプリュームのサブマージョンに基づく甲状腺の被ばくによる等価線量、とりわけ小児の甲状腺の等価線量については、その数値を20、30km圏の近傍のみならず、福島県全域、茨城県、栃木県、群馬県、他の関東、東北の全域にわたって、隠さず迅速に公開すべきである。さらに、文部科学省所管の日本原子力研究開発機構によるWSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福島県、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきである。

 また、文部科学省においても、放射線規制室および放射線審議会における判断と指示には法手順を軽視しているのではと思わせるものがあります。例えば、放射線業務従事者の緊急時被ばくの「限度」ですが、この件は既に放射線審議会で国際放射線防護委員会(ICRP)2007年勧告の国内法令取り入れの議論が、数年間にわたり行われ、審議終了事項として本年1月末に「放射線審議会基本部会中間報告書」として取りまとめられ、500mSvあるいは1Svとすることが勧告されています。法の手順としては、この件につき見解を求められれば、そう答えるべきであるが、立地指針等にしか現れない40-50年前の考え方に基づく、250mSvの数値使用が妥当かとの経済産業大臣、文部科学大臣等の諮問に対する放射線審議会の答申として、「それで妥当」としている。ところが、福島現地での厳しい状況を反映して、今になり500mSvを限度へとの、再引き上げの議論も始まっている状況である。まさに「モグラたたき」的、場当たり的な政策決定のプロセスで官邸と行政機関がとっているように見える。放射線審議会での決定事項をふまえないこの行政上の手続き無視は、根本からただす必要があります。500mSvより低いからいい等の理由から極めて短時間にメールで審議、強引にものを決めるやり方には大きな疑問を感じます。重ねて、この種の何年も議論になった重要事項をその決定事項とは違う趣旨で、「妥当」と判断するのもおかしいと思います。放射線審議会での決定事項をまったく無視したこの決定方法は、誰がそのような方法をとりそのように決定したのかを含めて、明らかにされるべきでありましょう。この点、強く進言いたします。



2.「国際常識とヒューマニズム」に則ってやっていただきたい

 緊急時には様々な特例を設けざるを得ないし、そうすることができるわけですが、それにも国際的な常識があります。それを行政側の都合だけで国際的にも非常識な数値で強引に決めていくのはよろしくないし、そのような決定は国際的にも非難されることになります。

 今回、福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が年間20mSvの被曝を基礎として導出、誘導され、毎時3.8μSvと決定され、文部科学省から通達が出されている。これらの学校では、通常の授業を行おうとしているわけで、その状態は、通常の放射線防護基準に近いもの(年間1mSv,特殊な例でも年間5mSv)で運用すべきで、警戒期ではあるにしても、緊急時(2,3日あるいはせいぜい1,2週間くらい)に運用すべき数値をこの時期に使用するのは、全くの間違いであります。警戒期であることを周知の上、特別な措置をとれば、数カ月間は最大、年間10mSvの使用も不可能ではないが、通常は避けるべきと考えます。年間20mSv近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです。年間10mSvの数値も、ウラン鉱山の残土処分場の中の覆土上でも中々見ることのできない数値で(せいぜい年間数mSvです)、この数値の使用は慎重であるべきであります。

 小学校等の校庭の利用基準に対して、この年間20mSvの数値の使用には強く抗議するとともに、再度の見直しを求めます。

 また、今回の福島の原子力災害に関して国際原子力機関(IAEA)の調査団が訪日し、4回の調査報告会等が行われているが、そのまとめの報告会開催の情報は、外務省から官邸に連絡が入っていなかった。まさにこれは、国際関係軽視、IAEA軽視ではなかったかと思います。また核物質計量管理、核査察や核物質防護の観点からもIAEAと今回の事故に際して早期から、連携強化を図る必要があるが、これについて、その時点では官邸および行政機関は気付いておらず、原子力外交の機能不全ともいえる。国際常識ある原子力安全行政の復活を強く求めるものである。

以上

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