Thu, Mar 04
17:59 裁判所は、検察側が証拠採用に反対していた石井議員の手帳を、弁護側の主張通りに証拠採用を決定。検察官は異議申し立てをしましたが、裁判所は退けました
17:49 とたんに検察官しどろもどろ。「捜査中です」。さらに弘中弁護士が詰める。検察官は「問い合わせはしたが、証拠になっていない」などと、照会したことを認めました。石井証言が正しいことを、実は分かっていたことを事実上”自白”。けれども「証拠化されたものはない」などと、しどろもどろでした
17:46 さらに検察官、「その日はインのスタートで……」と言ったところで、弘中弁護士すかさず立ち上がり、「異議!」。それは証拠に出てないと。尋問が終わった後、弘中弁護士が再び立ち上がり、「インからスタートしたと分かっているのは、ゴルフ場に照会をしているんですよね。それを開示してください」
17:43 なので、そこに載っているからと言って、私と一緒にゴルフをやっていなかったということにならないんです。よくお調べください」
17:42 検察官は石井議員の証言を崩そうと必死。一緒にゴルフに行った議員が、当日、国会の委員会に出ていたという議事録を突然出してきた。ところが石井議員、「いい所に目をつけられましたが、議事録には出席してもしなくても、メンバー全員の名前を載せるんです。
15:04 辛いだろうな、と」「この事件にはおかしい点がたくさんある
。弁護士からの強い要請もあったが、この際出て証言すべきだとおもった」
法廷にたつのは初めてとのこと
15:01 休廷。検事からの反対尋問で石井議員は、村木被告とは今日初めて会ったと証言。知り合いでもないのに証人となったのはなぜかときかれ「私自身もマスコミに書かれて相当辛い思いをした。村木という女性局長は高知の大学を出て東大卒の競争の中であそこまで上り詰めたのに被告人の席に立たされて、さぞ
13:05 そろそろ裁判所に戻ります。
13:05 石井氏が使っている手帳は黒表紙、横10センチ、縦15センチ、厚さ1センチくらいのもの。150ページを2ヶ月で使い切ってしまう、とのこと。1年に6冊、過去の分が約200冊保管してあるそうです
13:03 「新聞なんて、(間違いを)書いたって、全然責任とりませんからね」と法廷でぼやく石井氏でした
13:03 まったく無関係なのにマスコミにあたかも関係があるように報じられ、選挙を控えていたのに、とても迷惑をしたと石井氏。支援者からも「厚労省の局長と男女関係でもあるのか」という電話まで来るようになり、困って弁護士に相談。身の潔白を証明するために、やむをえず週刊誌を提訴した。
13:01 聞いたら、倉沢は『凜の会』ですと言った。私は『難しい名前やな。考えておくけど、気が進まない』と言った。後にも先にもこれっきりです」と石井氏は証言。弁護人から、「倉沢被告に、『あの時にお世話になりました』という話は出なかったのか」と聞かれ、「石井氏は『ありません』」と明言
12:59 送る相手は障害者だという。民主党には障害者の団体をバックにしている候補者が他にいるし、今さら私がとってつけたように顔や名前を送っても、選挙の役には立たない。にわかごしらえでそういうことをしてもダメだと言って、私は話しに乗らなかった。その時に、新聞の名前を見て、『なんと読むんだ』と
12:57 石井氏は、倉沢被告から「凜の会」について聞いたのは、たった一度。すでに証明書が発行された後の2004年11月6日。「倉沢が私の事務所を訪ねてきて、タブロイド大の新聞を見せて、(選挙対策のために)これに先生の写真や政策を載せたらどうか、と言ってきた。郵便代が安いんだ、と言っていた。
12:50 石井氏が経緯を証言したため、裁判長は、検察官の異議を退け、法廷で手帳を示すことを弁護側に許可しました。その手帳は法廷のスクリーンにも映し出されましたが、実に細かく誰といつ、どこで会ったかが書かれていました。問題の日のゴルフについては、場所やスコアまで書かれていました
12:48 というのは、検察側は、公判前整理手続きで石井氏の”アリバイ”について弁護側が主張してないとか、証言予定事実の書面にも書いてないので、手帳を弁護側が証拠提出したり、法廷で示したりすることに猛烈に反対したため、裁判長が、まず手帳を弁護人が入手する経緯を明らかにするよう求めたのです
12:45 「今年に入って、弁護士さんから『この日の記録はあるか』と聞かれたので、『ありますよ』と言った。神戸の事務所に電話をして、古い手帳を確認させ、そのページをFAXさせたんです」と石井氏は経緯を説明しました
12:42 石井氏は、捜査段階で大阪地検の前田検事の事情聴取を受けています。そのときも、2004年分の手帳を全部並べて「見ていただいて結構ですよ」と言ったのに、検事はあまり興味を示さず、パラパラを見ているくらいで、その日について詳しく聞かれることはなかった、とのこと。
12:40 年に1、2回訪ねてくるというくらいの関係だったとのことです。2001年には1回、02年と03年はゼロ回、04年と05年は2回と、会った回数まで石井氏は正確に覚えていました。それは、法廷に来る前に手帳を確認しておいたから。会った人、用件なども、毎日欠かさず、克明に記録してあるそう
12:37 そのため、事務所で倉沢被告と会うことはありえない、と石井氏は強調しました。また、倉沢被告が石井氏の秘書になったのは1982年で、翌年の選挙で石井氏が落選したため、務めていたのはわずか1年。その後は、石井氏が参院比例区に鞍替えした時に、ボランティアとして手伝ったくらいの関係
12:34 「なので私はその日成田市のゴルフ場にいました」と述べ、一緒にゴルフをした議員などの名前を挙げました。午前7時頃に自宅を出て、1ラウンドプレーをし、風呂に入って着替えをして4時頃ゴルフ場を出たとのことです。その後は東京に戻り、赤坂の料理屋で議員や業界関係者との懇親会に直行。
12:32 今日の公判で弁護側証人として出廷した石井議員は、過去40年にわたって自分の予定と実際の行動について克明に手帳に記録している、と証言。04年2月25日は衆議院の予算審理が佳境を迎え、「年金、構造改革の集中審理が予算委員会で行われ、閣僚は全部そこに張り付き。他の議員は予定がなかった」
12:28 (続き)村木被告(当時は厚労省課長)が上村被告(同係長)に証明書偽造を指示した――という筋書き。ところが、これまでの公判で、上村被告は村木被告の指示を否定。塩田部長も村木被告への指示や石井議員からの働きかけを否定。倉沢被告だけが「2004年2月午後1時に石井議員と会った」と証言
12:25 検察側の描いた構図での、石井議員の位置づけをおさらい。自称障害者団体「凜の会」代表の倉沢被告は、昔秘書として務めたことのある石井議員の事務所を訪ね、石井氏に公的証明書について厚労省に口添えしてくれるよう依頼。石井議員が厚労省の塩田部長に依頼し、塩田部長が村木被告に指示(続く)
12:21 お昼休み。裁判所近くの喫茶店でお昼をささっと食べて、つぶやき開始
11:22 石井議員は自分の行動を克明に記録していました。その事実が判明するのを恐れた検察が懸命の抵抗をしたのでした
11:19 休廷。石井議員の手帳を巡って検察と弁護側の論争あり。検察は、それを証拠提出したり 法廷で示すことに猛烈に反対。そこには、検察の描いた構図を突き崩す重大事実がかかれいました。倉沢被告が公的証明書を得るために石井議員に会ったという日、じつは石井氏はゴルフ場にいたのでした
09:57 無事傍聴券ゲット。法廷に入りま~す
09:28 そうです RT @ryunozaki: @amneris84本日は石井議員の証言日でしたね。東奔西走ご苦労様です。
09:23 大阪地裁なう。今日も一番乗り!一番で並んだから確実に傍聴券が取れるというわけじゃないんだけど。

今回の小沢問題ははっきりいって検察の敗北、検察のあり方も今度問われるだろう。

 それよりも一番と割れるのがマスメディアである。報道の自由をかさに公正中立を著しくかいだ一連の報道は目に余るものがある。

 痺れを切らしたのか、ようやく江川紹子が吠え出した。

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