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公正中立、不偏不党で報道する東京新聞

 偏向報道に終始している日本のマスメディアの中にあって、唯一「公正中立」「不偏不党」で報道しているの東京新聞。東京新聞は5月10日付け朝刊の社説で「小沢元代表控訴 一審尊重へ制度改革を」という見出しで、以下のように述べている。

 一審無罪の小沢一郎民主党元代表を検察官役の指定弁護士が控訴するのは疑問だ。そもそも検察が起訴を断念した事件だ。一審無罪なら、その判断を尊重するよう検察審査会制度の改正を求めたい。

 新しい検察審制度で、小沢元代表が強制起訴されたのは、市民が「白か黒かを法廷で決着させたい」という結果だった。政治資金規正法違反の罪に問われたものの、一審判決は「故意や共謀は認められない」と判断している。

 つまり、「白」という決着はすでについているわけだ。検察が起訴する場合でも、一審が無罪なら、基本的に控訴すべきではないという考え方が法曹界にある。国家権力が強大な捜査権限をフルに用いて、有罪を証明できないならば、それ以上の権力行使は抑制するべきだという思想からだ。

 とくに小沢元代表の場合は、特捜検察が一人の政治家を長期間にわたり追い回し、起訴できなかった異様な事件である。ゼネコンからの巨額な闇献金を疑ったためだが、不発に終わった。見立て捜査そのものに政治的意図があったと勘繰られてもやむを得ない。

 小沢元代表はこの三年間、政治活動が実質的に制約を受けている。首相の座の可能性もあったことを考えると、本人ばかりでなく、選挙で支持した有権者の期待も踏みにじられたのと同然だ。

 新制度は従来、検察だけが独占していた起訴権限を市民にも広げる意味があり、評価する。だが、新制度ゆえに未整備な部分もある。検察官役の指定弁護士に一任される控訴判断はその典型例だ。検察でさえ、控訴は高検や最高検の上級庁と協議する。

 指定弁護士の独断で、小沢元代表をいつまでも刑事被告人の扱いにしてよいのか。「看過できない事実誤認」を理由とするが、検察審に提出された検察の捜査報告書などは虚偽の事実が記載されたものだ。どんな具体的な材料で一審判決を覆そうというのか。

 むしろ、「白か黒か」を判定した一審判決を尊重し、それを歯止めとする明文規定を設けるべきだ。最高裁も二月に、控訴審は一審の事実認定によほどの不合理がない限り、一審を尊重すべきだとする判断を示している。むろん被告が一審有罪の場合は、控訴するのは当然の権利だ。


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鳥越俊太郎氏「検察審査会というシステムを見直す必要ある」

 民主党元代表・小沢一郎氏は結果的に無罪判決を受けたが、同氏への検察捜査は、村木厚子・現内閣府政策統括官の郵便不正事件(※)と共通の背景を持つ。いずれも検察が政権交代を阻むという政治的意図をもって民主党の有力政治家を標的に強引な捜査を行ない、偽の証拠まででっちあげた。結果、小沢氏は元秘書、村木氏は元部下の厚労省係長が有罪判決を受けた。
 
 ところが、小沢氏と村木氏の無罪判決の報道ぶりには雲泥の差がある。
 
 無罪判決でも小沢氏に議員辞職を迫る朝日は、村木事件の無罪判決翌日の社説では〈特捜検察による冤罪だ〉という見出しで捜査のあり方を正面から批判していた。
 
〈あらかじめ描いた事件の構図に沿って自白を迫る。否認しても聞く耳をもたず、客観的な証拠を踏まえずに立件する。郵便不正事件の検察の捜査はそんな強引なものだった〉
 
 そうした捜査手法は小沢氏の事件にもそのまま当てはまるうえ、冤罪事件という点ではむしろ今回の方がより悪質だ。
 
 郵便不正事件で前田恒彦・元検事が村木氏を陥れるために改竄したフロッピーディスクは裁判で証拠提出されていないが、陸山会事件では東京地検特捜部の田代政弘・検事が作成したでっちあげの捜査報告書は検察審査会に提出されて決定的な影響を与え、強制起訴で無罪の小沢氏を被告人の立場に追い込んだからだ。
 
 一般国民から選ばれる検察審査会は検察をチェックするためにつくられたはずだが、それを検察や検審事務局である裁判所は「民意」の名を借りて組織的に特定の政治家を無実の罪に陥れる《国策冤罪でっちあげ機関》として悪用していたのである。
 
 ジャーナリスト・鳥越俊太郎氏はこの冤罪の構図にこそ陸山会事件の重大性があると指摘する。
 
「特捜部は小沢氏を起訴したくて徹底的に捜査し、秘書を3人逮捕してまであらゆる証言・証拠を検討したものの裏付けがなくて起訴できなかった。そこで一部の検事が検察審査会を騙そうとウソの証拠を提出し、起訴相当という間違った結論を出させた。新聞・テレビは検察審査会の強制起訴を“民意”と褒めそやしたが、それは特捜部の検事によってつくられた民意だ。
 
 いま最も明らかにすべきは、田代検事はじめ特捜部が意図的、組織的に証拠を捏造していたのではないかという疑惑を徹底的に糾明することです。そして検察審査会という危ういシステムを見直すことが必要だ」
 
※郵便不正事件/発端は自称「障害者団体」が厚生労働省の偽の証明書を得て、通販ダイレクトメールを送料が安い心身障害者用低料第三種郵便物として発送していた事件。

 大阪地検特捜部は偽証明書発行を働きかけたのは民主党幹部の石井一・参院議員という筋書きで捜査を進め、2009年に政界捜査の入り口として当時同省局長だった村木厚子氏と部下の係長、自称障害者団体幹部らを逮捕した。石井氏は無関係で政界に捜査は及ばなかったが、小沢氏の事件同様、政権交代を阻止するための強引な国策捜査だったとされる。

 ところが、公判の過程で前田恒彦・元主任検事が村木氏を有罪にしようと証拠のフロッピーディスクを改竄していたことが発覚し、村木氏は無罪、単独で偽証明書を作成した係長は有罪となった。その後、最高検は前田元検事と上司の大坪弘道・元特捜部長及び佐賀元明・元副部長を証拠隠滅罪で起訴し、3人とも有罪判決を受けた(大坪被告と佐賀被告は控訴中)。

<週刊ポスト2012年5月18日号>にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 高知情報へ かまんかったら 押しとぉぜや

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悪玉仙谷由人

野田内閣の支持率がついに20.6%にダウン。前菅政権ではまるで自分が総理のような発言をしていた仙谷由人は野田内閣では政調会長代行であり、閣僚でもないのに大飯原発再稼働の閣僚会議に顔を出し、内閣を牛耳っている。

 仙谷の子分が枝野幸男経産相である。関西電力に深く食い込んでいる仙谷由人政調会長代行は、再稼動で利害が一致している関西電力経営陣とも手を結び、原発利権獲得に懸命になっている。

 昨日、仙谷由人政調会長代行は、「(すべての原発を)直ちに止めた場合に日本の経済と生活がどうなるのかを考えておかなければ、日本がある意味では集団自殺するようなものになってしまうのではないか」と発言した。こうして国民を脅かし、原発再稼働にカジをとろうとしている。

 仙谷由人こそ、日本をだめにしようとしている張本人である。にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 高知情報へ かまんかったら 押しとぉぜや

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腐りきった司法

検察審査会から強制起訴された小沢一郎氏の裁判が結審し、判決が4月26日に言い渡される。これを機会に司法のあり方を決定的に追及しなければならない。以下に田中良紹氏の「裁かれるのは日本の民主主義」を紹介する。

裁かれるのは日本の民主主義

 検察審査会から強制起訴された小沢一郎氏の裁判が結審した。来月26日に判決が言い渡される。裁判の過程で浮き彫りになったのは検察の犯罪的な捜査手法である。検察は思い込みから小沢氏の裏金捜査を始めたが、不都合な証拠は隠し、都合の良い証拠だけをメディアに流して国民に「小沢クロ」の心証を与え、それでも起訴が出来ないと検察審査会に嘘の証拠を示して起訴に導いた。
 証拠を改竄する権力がこの国に存在する事が裁判で明らかにされた。普通の国なら民主主義に対する冒涜だと国民やメディアが騒ぐところである。強制力を持つ捜査機関が暴走する事を民主主義社会は許さない。国民はそのために代表を選んで立法府に送り込み、行政権力や司法権力を監視させるのである。ところがこの国はまるで違う。

 国民から選ばれた政治家を「巨悪」(ということは国民は巨悪なのだ)、それを摘発する検察を「正義」と考えるマインドコントロールに冒され、国民は民主主義とは真逆の論理を信じ込んでいる。だからこれほどの問題が分かってもメディアは不感症でいられる。証拠改竄をした検察を「民主主義の敵」と言わずに不心得者がいるという程度に非難する。
 そのくせ小沢氏には「庶民感覚から外れた金銭感覚」とか「道義的責任」とか的外れな批判を欠かさない。そもそも今回の事件で問われている罪は普通の民主主義国なら問題にされない微々たるものである。政治資金収支報告書に間違いがあったとすれば、会計責任者が訂正を求められるだけで、犯罪になどならない。

 ところが検察は小沢氏がゼネコンから裏金を受け取っていると思い込み、叩けば必ずほこりが出ると信じて捜査を始めた。そして政治資金収支報告書の「期ズレ」が見つかり、それが裏金疑惑につながると思い込んだ。ところが捜査をしても裏金の証拠が出てこない。この2年間、常に追い詰められていたのは検察である。

 裁判に持ち込めば大恥をかくだけで不起訴にするしかないのだが、「馬鹿メディア」を煽って国民に「小沢=巨悪」を信じ込ませたから、振り上げた拳を下ろせない。そこで素人集団の検察審査会に嘘の証拠を出して起訴させる事にした。無罪になったとしても自分たちの失点にならない方法はそれしかない。ところがその裁判で特捜部の犯罪性が露見したのだからお粗末である。
 東京地検特捜部が生まれて初めて政界汚職に切り込んだのは1954年の造船疑獄事件である。日本の造船・海運業界が自由党幹事長佐藤栄作氏に贈賄していた事が分かり、特捜部は佐藤氏を逮捕しようとした。ところが犬養法務大臣の指揮権発動に阻まれて涙を飲んだ。それがこれまで語られてきた定説である。

 ところが真相はまるで逆であった。検察幹部が政治家に頼んで「指揮権発動」をしてもらったのである。最近では複数の検察関係者がその事を認めている。しかし当時の何も知らない国民は「政治が悪」で「検察は被害者」と信じ込んだ。そこから「政治家=巨悪」、「検察=正義」のイメージ作りとマインドコントロールが始まる。
 真相はこうである。犬養法務大臣は指揮権発動に反対で辞表を出して抵抗した。それを慰留して指揮権発動させたのは緒方竹虎副総理である。緒方氏は国民から「クリーンな政治家」と見られていたが、検察の捜査が拡大すれば自身に及ぶ恐れがあった。またアメリカのCIAが吉田総理に見切りをつけ、緒方氏を後継総理にしようとしていた。そのため緒方氏は法務大臣に指揮権発動をさせて事件の拡大を防ぎ、また国民世論を反発させて吉田政権に打撃を与える必要があった。

 緒方氏に指揮権発動の知恵をつけたのは検察自身である。検察は疑獄捜査に着手して盛り上がる国民世論に実は困っていた。裁判を維持できる証拠がないため裁判に持ち込めない。そこで事件を担当していた検察幹部が緒方副総理に耳打ちをした。政治の圧力で事件が潰れれば検察は大恥をかかなくて済むどころか国民から同情され、捜査の内実を隠せば政治の世界からも喜ばれる。一石二鳥であった。

 狙い通りに国民世論は指揮権発動に反発し、犬養法務大臣は辞任、吉田内閣もその年のうちに総辞職した。こうして検察は「巨悪に切り込む正義の味方」を演ずるようになるが、実態はこれも全く違う。緒方副総理に指揮権発動の知恵をつけた検察幹部は検察トップに上り詰め、造船疑獄で被疑者であった佐藤栄作氏と密接な関係を築く。それ以来、特捜部は次々に政界捜査に乗り出すのだが、摘発されるのは佐藤栄作氏のライバルの池田勇人氏や河野一郎氏の派閥の議員ばかりである。つまり佐藤長期政権が可能になったのは、佐藤氏に対する自民党内の脅威を検察が力で取り除いてくれたからであった。
 特捜捜査の原点はここにある。誕生以来、常に一方の政治勢力と手を組んで自らの地位を守り、政治と裏取引をしながら、国民には「巨悪に挑戦する正義」として振る舞ってきた。それを終始支えてきたのが民主主義の原理を理解する能力のないメディアである。わずかな情報のエサに釣られて簡単に権力の走狗となってきた。そして情けないのは政治家も検察権力に迎合する事が自らを守る第一と考え、数々のでっち上げ捜査に口をつぐんできた。

 今回の裁判で裁かれるのはそうした日本の体制である。小沢一郎氏が有罪になろうが無罪になろうが問題は終らない。有罪になれば民主主義に対する冒涜を許す日本の司法を徹底的に追及していけば良い。無罪になれば、これまたこれまでの日本の体制を徹底解剖して問題点を除去していかなければならない。来月末に予定される判決は結論ではなく出発点なのである。

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「動機」の政治と「結果」の政治

田中良紹の「国会探検」より

「動機」の政治と「結果」の政治

 政治は「結果」である。どんなに「動機」が正しくとも「結果」を出せなければ意味がない。ところが「動機」が正しければそれで良いと考える人たちがいる。その人たちは正しい事を主張するのが政治で、正論は必ず理解されると信じているらしい。信ずるのは勝手だが、それでは余りにも世の中を知らない。人間は「理屈」で動くのではない、「利益」で動くのである。

 しかも正論は人さまざまである。全員が正しいと思うことなどまずない。誰かが「正しい」と言えば、別の誰かは「正しくない」と主張する。時代が変われば正しさの基準も変わる。正しい事を実現したと賞賛された政治が後に批判された例はいくらでもある。

 以前書いた『増税の「理」と「利」』で、私が坂本龍馬を一級の政治家と評価した理由はそこにある。「維新の志士」と呼ばれる人たちは、ひたすら「尊皇攘夷」を正論として結果も考えずに突き進んだ。しかし龍馬は「理屈」を叫んで世の中が変わると思っていない。薩長連合は、薩摩には米を、長州には武器という「利益」を龍馬が与えたから成就した。

 そして龍馬には新時代を切り拓く戦略とシナリオがあった。徳川家に「大政奉還」させ、天皇中心の体制を作るが、しかし政治を執り行う能力に乏しい公家や薩長の田舎侍に政権を任せるのではなく、それまで政治を執り行なってきた徳川体制を温存させ、ドリームチームとでも言うべき公武合体の大連立政権を作ろうとした。それが欧米に対抗するための日本国誕生のシナリオであった。

 ところが龍馬は暗殺され、ほどなく戊辰戦争が起こり、龍馬の描いた「公武合体政権」のシナリオは消滅した。代わりに「動機」の正しさを主張する幼稚な連中が明治を作った。だから「週刊新潮」に文芸評論家の野口武彦氏が連載するように、明治の「め」は目茶苦茶の「め」なのである。そう考えると坂本龍馬が暗殺され、彼の戦略とシナリオが消えた事が日本を政治未熟の国にしたとも言える。

 こう書いてきたのは、昨年11月のG20で「消費税法案の2011年度内提出」を国際公約した野田総理が「結果」を出すための戦略とシナリオを持っているように見えないからである。野田総理の発言を聞いていると「動機の正しさを認めてくれ」と言っているに過ぎない。

私は全くそう思ってはいないのだが、仮に「社会保障と税の一体改革」が正論であっても、仮に「財政赤字の解消」が正論であっても、増税で金を取られるのは国民だから、国民にどのような「利益」がもたらされるかを具体的に示さない限り物事は動かない。将来不安を言い募って脅すだけでは国民はついていかない。会社の社長が将来不安だけを口にして給与を下げようとしたら、従業員は社長を代えてましな経営者の下で働きたいと思う。「動機」の正しさを言うだけなら政治家は要らない。政治家の仕事は「結果」を出すための戦略とシナリオを持つ事なのである。

 しかしこの国には「動機」の正しさを主張するだけの政治家が多い。前の総理もそうだった。戦略とシナリオがないから負けてはならない参議院選挙に敗北し、「ねじれ」という負の重荷を背負っても、それを解消する戦略もシナリオもなく、ひたすら野党にすり寄るだけの政権運営を行った。そのくせ「正論」の如き口ぶりで「理屈」だけは言った。

 その前の総理も普天間基地の県外・国外移設を主張したが、その「結果」を出すための戦略もシナリオも持ち合わせてはいなかった。アメリカは普天間基地の辺野古移設が困難な事を百も承知である。だから自民党政権の「努力」を冷ややかに見てきた。自分たちは冷戦後に見合った再編計画を独自に作成していた。自民党に代わってアメリカを納得させるシナリオを出せるのかと思っていたら、結局は絶対に実現するはずのない辺野古移設を認めるという自民党と同じ結論に戻った。

 野党に転じた自民党も酷いものである。「政権奪取」という目的のためならなりふり構わない。「動機」が正しければ何でもやれとばかりに民主党攻撃を行なって自らの人気を下げている。へまをした子供とそれをいじめる子供の喧嘩を見せられているのが今の国会で、公明党の方が本格野党に見えてくるから、つくづく自民党に政権が戻る事はありえないと思ってしまう。この政党の政治家にも「結果」を出すための戦略とシナリオがない。

 歴史学者の中には「陽明学」が「維新の志士」たちに影響を与え、「動機」の正当性を重視する政治風土が生まれたとする見方がある。「動機」さえ良ければ後の事は考えずに「やっちまえー」と言ったのが幕末維新だった。戦後の「60年安保闘争」もそれに似ていると言うのである。

しかし私の知る限り、かつての自民党には「結果」を出すための政治技術があった。シナリオを書ける政治家がいて、誰にも知られずにシナリオを書き、誰にも知られずにそれを実現して行く。大方の政治家はそのシナリオによって動かされている事に気付かない。そして「結果」が国民のためになればそれで良しとする考え方だった。それに比べるとテレビで口角泡を飛ばす政治家や「理屈」だけを言う政治家が子供に見えてくる。古い自民党には悪いところも沢山あったが、しかし今よりは大人の政治をやっていた気がする。

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妬み節の老害は去るべし

先輩は尊重しなければならないが、悪臭を放しほうだいにする老人は嫌われる。政界も同じ。板垣英憲氏のブログを紹介する。
 

◆TBS番組「時事放談」で民主党の渡部恒三最高顧問と自民党の野中広務元幹事長が、出演して、相変わらず「老害発言」を盛んに披瀝していた。相変わらず老害政治家ばかり使い、時代遅れも甚だしい。渡部恒三最高顧問は、総理大臣にも、衆院議長にもなれず、政界引退を「有力な後継者がすれば」という条件付きで明らかにしている。そのせいか、発言に新味がなく、むしろ、人生の「たそがれ」を感じさせていた。野中広務元幹事長は、いつも通り、総理大臣にも、衆院議長にもしてくれなかった小沢一郎元代表憎しの論調に変わりがなく、この番組に出演しなくても、分かり切った発言に終始して、小沢一郎元代表に対する悪口ばかりだった。
 こんな論議は、もう飽き飽きだ。それを飽きもせず、番組に出演させて、何の意味があるのか。それこそ、司会者である東大法学部の御厨貴教授の見識が疑われる。しかも、「大阪維新の会」を率いる大阪市の橋下徹市長を、ただバカにするだけの発言に終始していたのには、時代の変化との大きなズレを感じる。こんな老害しか呼べない東大教授が、いかに時代遅れな学者であるかを如実に暴露していた。朝早くから視聴して損した気分だ。
◆野中広務元幹事長は、小沢一郎元代表に農業団体予算数千億円を切られたのを、大変恨みに思っている。だから、この発言は、用心して受け取らねばならない。客観性と公平性がないからである。私たちは、単に有名人だからと言って、簡単に信じてはいけないのである。
 小沢一郎元代表は、決して単純に消費税増税に反対しているのではない。しかし、いまの経済状況と生活水準から、消費税増税は、庶民国民有権者には、きついと同感して、反対しているにすぎない。だから、野田佳彦首相に「一考」を促しているにすぎないのである。何しろ、国民有権者の大半が、消費税増税に反対している。これに賛成派の意見を付け加えれば、それこそ、各州で大暴動が起きるかは知ることができない。
◆それにしても、小沢一郎元代表に対する新聞各紙、テレビ各放送局も、「暗黒人民裁判」の判決となると、様々な意見が飛びかっている。有罪無罪を勝手には、決められないいまの段階で、とやかくは言いにくいけれども、ここ数日、朝日新聞が、東京地検特捜部の捜査に厳しい目を向けて、情報操作しているかのような気配を感ずるものの、これはあくまでも「メルヘン」の世界と混同されて、困惑気味である。何が正しくて、何が間違っているのか、区別がつきにくいのである。
 しかし、本当に生真面目な生活をしている人に対して、東京地検特捜部の検事たちが、自分たちが描いているような犯罪構成要件に合わせるように、無理やり供述を誘導させるなどは、もってのほかである。真実の探求を求められている法曹、そのなかでも、検察官が、まともでなくなったとすれば、堕落しているとしか思えない。
 この問題に対して、渡部恒三最高顧問と野中広務元幹事長が、小沢一郎憎しのあまりのせいか、まともなコメントをしていなかった。いかに私怨を公器であるTBS番組を悪用しているかが、暴露されている。まさに、これこそ、邪道である。

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